私も経験あるけど、
子供が大人のお兄さん、お姉さんと出かけるときというのは、
「特別」であって、「力のいれどころ」。
でも、大人から見た時
子供と出かけるのは果てしなくナチュラルで居られる時というか、
気を抜いてる時。
この差は色んな局面でいつもあるんじゃないかな。

子供のころは、お祭りの喧騒があまり好きじゃなくって、
もっと伝統芸能っぽく雰囲気を統一すれば良いのになぁ
とか思ってた気がする。
でも、そういう「見た目のかっこよさ」を作る場ではないんだよね、
お祭りって。
日頃のことを忘れてカオスになるからお祭りとして機能としているんであって、
むしろ統制とは逆のところになるんだなぁと。
だから色々ちゃんぽんででもとにかく楽しい!というのが
お祭りとしては成功なのかな?とちょっと思いました。



河合さんが『ねずみ女房』の話を紹介しているところで、
素敵と思ったことを二点。
・何かを失わなければ、何かを得ることはできない。
ねずみがハトをかごから逃がして、
「あれが飛ぶってことなんだ」と理解した時、
ハトは居なくなってしまう。

何か本当に大切なものがわかるときは、
絶対に大事なものを失わないと獲得できないのではないかなと僕は思います、
と河合先生。

ここでいわれている、失うものと得るものが同じものとは限らないけど、

例えばAを失った時に、初めてAの価値が分かる、というのもこれの一つかな。
「喪失」という体験がその人の人生に与える意義について考える。
「もののあはれ」的なお話に感動するのも、
この価値を体験するってことなのかな。

刹那的なものはやっぱり美しい。
とはいえ、これが先生のいうことどんぴしゃではないように思うから、
しっかり読み込まないと。

・魂は全てのものと繋がって生かされている

この東洋的な考え方、好き。
今流行りのスピリチュアルな話ではないけど。
哲学者の中村先生?が、
こんなような話をしていた気がする…。
自己を含めその空間を構成している全てのものが、
その空間を作っている、みたいな。
ちょっと確認しないとわからないけど。
西洋が分けて分けて、自己を際立たせて、ってやるのと
違う考え方。

ルグウィンさんが、儒教に影響を受けてると言ってたこととも関係するかな。
「僕たち学者はグラディエーターなんだよね。
君たちは授業料というチケットを買って、戦いを上から見られる訳です」


如何にもインテリな先生が言うところがいいね。