こんばんは。

 

 

 

今、繁忙期の8合目ぐらいに差し掛かっています。

 

 

 

ちょっとハードな締切があと2つ。

 

 

 

やはり、頭がくたびれると、なかなか、文章を書く気力がわいてきません。

 

 

 

潜在意識のその後、書きたいなぁと思いながら、油断すると、すぐに2,3日、経ってしまいます。

 

 

 

毎日、ブログを書き続けている方々、本当に頭が下がるばかりです…。

 

 

 

本題に入る前に、今日は、別なこと、書かせてください。

 

 

 

毎年6月、赤坂にあるサントリーホールで、室内楽の音楽祭が開かれます。

 

 

 

とてもありがたいことに、毎年、異なる弦楽四重奏団が招聘されて、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会が催されます。

 

 

 

今年は、久しぶりに全員が日本人の弦楽四重奏団(ウェールズ弦楽四重奏団)が登場しています。

 

 

 

 

今晩は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番・大フーガ付きが演奏されました。

 

 

 

 

この曲は、ここ20年来、数え切れないぐらい聴いています。おそらく、自分の生涯で、一番身近に接している作品です。

 

 

 

同じ作品でも、聴いているときの自分の年齢、精神状態、弦楽四重奏団が異なると、いつも初めて聴くような新鮮さを感じます。

 

 

 

今日、リアルタイムで演奏を聴きながら、ハッとひらめいたことがあります。

 

 

 

 

おそらくベートーヴェンは、後世のわたしたちが、これほどまでに惚れ込むことをちゃんと見越したうえで、あのとんでもなく前衛的な大フーガを遺してくれたのだ…ということです。

 

 

 

 

未来が現在に流れ込んで、「今」が決まる。

 

 

 

 

これまでも、時たま、この表現を目にすることがありました。

 

 

 

正直なところ、その意味するところ、よく分からなかったのですが、今日初めて、もしかして、今、こうやってベートーヴェンの大フーガを繰り返し聴き込んでいるという、ベートーヴェンにとっての「未来」が、あの第13番・大フーガ付きの誕生につながったのではないかと、思ったのです。

 

 

 

 

第13番・大フーガ付きを聴いているわたしと、そのきっかけを与えてくれた友人、そしてベートーヴェンが一直線に伸びた矢印の中に並んでいる映像がひらめいて、声を上げそうになりました。

 

 

 

 

いまだに「時間」の概念は、自分にとって大いなる謎なのですが、それを理解するための大きなヒントを得られたような気がしています。

 

 

 

 

…荒唐無稽な話ですみません。どんな解釈をするかは、個人の自由だから、どうか許してくださいね。