こんにちは!



5月らしい、さわやかな陽気ですね。新緑が青々として、目にしみます…。



最近、気づいたのですが、歳を重ねると、芽吹きや新緑の時期の植物のエネルギー、とても励まされます。




小鳥のさえずりも加わると、同時期に同じ地球に過ごしている仲間として、不思議な連帯感を味わいます。




生きている個体は違うけれど、その違いは、今、ここで出会っている縁の深さに比べたら、はるかにささいなことに思えます。




わたしたちが感じる孤独感や人間関係の苦しさ、悩みの大半は、相手と自分が、別個の存在であるという感覚から来ているように思います。




相手と自分が別々の存在であるととらえたら、そこに競争が生まれたり、警戒したり、色々な感情の動きが生じますよね。




最近、満員電車に乗りたくない、乗るのが怖い、という声を時々、聞きます。




それはきっと、コロナ禍を経て、感染症に対する恐怖が広がったことなどが、根底にあるのでしょう。




ふと思うのは、自ら発したものは、自分に返って来るということです。




見知らぬひとと接するのが嫌だ、怖い、と感じたら、自分もひとからそう思われるのだろうなぁと、受け止めています。




自分がひとから扱ってほしいように、見知らぬひとに接すると、相手との関係がとてもスムーズに行くような気がします。




話は少しずれますが、日本って、消費者王国ではないかと思うぐらい、お客の立場にいるとき、丁寧な対応をしてもらえます。




けれども、それは、接客しているひとに負担になっている部分もあるのだろうなぁと思います。  




だから、相手のひとが自分に接客してくれている時に、心がけていることがあります。




相手のひとが、わたしと別れた後、ほんのわずかでも、気分がほぐれてくれたら、と思うのです。




たとえば、コンビニエンスストアで買い物をしてレシートを受け取った時、笑顔で「ありがとうございます」と言うだけで、その場の空気がふっと和らぐのを感じます。




満員電車で一緒になるひとたちは、同じ乗客同士ですが、この広い地球で、同じ時間帯に同じ電車の車両に乗り合わせるとは、何てご縁が深いのだろう…と思います。すると、不思議な連帯感を味わうのですね。




とても不思議なことですが、連帯感を味わうだけで、同じように自分の周りの空気が和らぐのを感じます。この連帯感って、物理的にひとからひとへ広がっていくのだろうか…と思う程です。




どんな気分でいるかによって、感情が左右されます。そして、最初は小さな粒だったものが、きっかけとなる感情によって大きく増幅されていきます。




たとえば、ああ、気持ち良い天気だなぁと思うと、目に入る光景が瑞々しく感じられ、行き交うひとたちも素敵に見えます。




逆に、体調が悪かったり、不安なことがあったりすると、不機嫌になって、周りのひとたちにぶっきらぼうに接してしまい、ギスギスした空気につつまれるようになります。




残念なことに、不機嫌さって、とてもパワーが強くて、同じ場所に誰か1人でも不機嫌なひとがいると、たちまち、その不機嫌さって広がってしまいます。




身だしなみという言葉があるように、


気だしなみ


という言葉があっても良いかもしれません。




ひとと接するとき、少しでも相手がより気分良くなれるよう、自分の気分を整える。




そうすると、お互い、自分の発したものは自分に返って来ますから、ますます自分の気分も良くなっていきます。




気だしなみ、広がると良いなぁ!