先週、関西に出張する機会があり、延泊して、初めて吉野に行きました。

 

 

桜は、ほとんど咲いていませんでしたが、吉野駅から中千本エリアまでバスで行き、吉野水分神社まで登ったあと、金峯山寺の蔵王堂の秘仏本尊を拝んで、吉野駅まで戻りました。

 

 

吉野山には、西行、義経と静御前、後醍醐天皇など、歴史上の登場人物と深いゆかりのあるスポットが点在しています。

 

 

京都から吉野まで、特急を乗り継げば、2時間弱で到着します。

 

 

この距離なら…、源義経や静御前も完全に逃げとおせたとは思えなかったでしょう。南北朝時代も、相手の動向が、さざ波のように伝わってきただろうと、思いました。

 

 

例えば、義経と静御前が隠れた吉水神社や、静御前が頼朝の差し向けた追っ手に捕らわれた後に、舞いを舞った勝手神社など、当時の出来事が具体的に言い伝えられています。

 

 

土地に、歴史がふりつもっている。吉野山は、その後、土地が大きく開発されたとは言えないからか、強くそれを感じました。

 

 

西行が出家して、吉野山に住んでいたのは、1140年代。西行を敬愛していた芭蕉は、それから約550年後、吉野山の西行庵を訪れています。

 

 

わたしたちから見ると、西行も芭蕉も同じ、歴史上の登場人物ですが、ふたりの間にそれだけの時間が流れていたのかと思うと、感慨深いものがあります。

 

 

わたしたちは、とても変化の激しい時代に生きていますが、50年後、100年後、数百年後からふりかえったら、今の時代、どのように見えるのだろう…と、時々、考えるようにしています。

 

 

誤解を恐れずにいいますが、わたしたちを悩ませている項目の大半は、歴史のふるいにかけられたら、ぽろぽろとこぼれ落ちてしまうことでしょう。

 

 

その一方で、わたしたちの営みは、ふりつもる歴史のひとつひとつの要素であり、今、わたしたちがどう行動するかは、後世のあり方に大きな影響を及ぼします。

 

 

自分の行動のあり方をふりかえると、この広い地球で、同時代に、同じ日本に生きているだけでも信じられないほどの偶然なのに、たとえば、吉野に行く電車の中で隣り合わせになったひとは、なんて、ご縁が深いのだろうと思います。

 

 

昨日の帰り、京都から乗車した東京行きの新幹線で、黒人の父親と、おそらく7,8歳の息子さんと隣り合わせになりました。

 

 

わたしの重たいキャリーバッグをひょいと棚に乗せてくださったお父さん、夕暮れの中、新富士駅を通過する辺りで、「Mt.Fuji!」と興奮しながら、何度も写真を撮影していました。

 

 

お互いに、にっこり微笑み合って、カタコトの英語を交わしながら、旅の安寧を祈りました。

 

 

おそらく、もう二度と、お会いすることはない親子でしょうが、一緒に富士山を眺めて、その感動をシェアしたことは、わたしが今、ブログをつづっているように、なにかの動きをもたらしている。

 

 

視点の置き方、時間軸のとらえ方によって、起きた出来事への解釈は大きく変わります。

 

 

少なくとも、自分は、歴史の大きな流れのなかに存在していること、そして、自分とかかわりがあるひととは、なんらかの深いご縁を持っていること。それを忘れなければ、変な方向にはいかないのではと思います。

 

 

わたしも、悠久な歴史の一要素を構成している。そう思うと、何だかワクワクしてきます。