≪日本の提案から始まる≫
上海万国博は10月いっぱいで終わった。総入場者数約七千万人余、出展参加国数198、民間産業館の総面積十万平方メートル超。いずれを見ても、史上最大の国際行事だったといっていい。 この影響は、経済的には10年、文化面では一世代続くだろう。
上海万国博は、1984年に、私が当時の汪道涵(おうどうかん)上海市長らに提唱したのがきっかけだった。それから26年、私は20回以上も日中の間を往復し、この行事の実現に努力してきた。途中、天安門事件などによる中断があり、万国博の性格や目的も変わった。80年代の計画は、欧米や日本の先進的技術を導入することを主眼としていたが、21世紀になると、「近代化した中国を世界に見せる」ことが主目的となった。そして、その意味では、上海万国博は大成功だった。会場のきらびやかさとハイテクの活用は、新しい情報イベントのありようを示した、といえる。
中国は巨大な国である。そのせいか、大きなことが大好きだ。上海万国博はその象徴だったといえる。会場は広いし、建物は大きい。出展者数も入場者数も史上最高だった。
今の中国は自信に溢れている。例えば、会場設計。これまで博覧会といえば、欧米の都市計画の発想を受け継いで、広場の周囲に展示館が並ぶ「クラスター(房)方式」が主流だった。
≪中国的世界観を披露≫
ところが、上海万国博では、「長安の都以来の中国の都市計画は人類最高」と主張し、縦横に通路を作る「碁盤の目型」に会場を造った。そして、中央には「都大路」に当たる世博大路を通し、その両脇に中国館や文化センターを配した。
中国館の東側は近隣諸国、ベトナム、韓国、北朝鮮、カザフスタン、ウズベキスタンの各館、そして日本館は東の端である。
一方、米国館は西の端、中東、アフリカ、ヨーロッパの国々の彼方(かなた)に置かれた。中国人の世界認識そのままの配置である。北京オリンピックと上海万博とはたった2年の差だが、この間に、中国人は大いに自信を付けた。北京オリンピックでは主要施設を欧米人が設計したのに対し、今度はすべて中国人。「欧米の発想と技術はもう古い」とさえいう。日本の建築家や代理店企業も、ほとんど採用されなかった。実際、建築や美術における中国人の活躍は今や世界的、沈滞気味の日本とは対照的だ。
技術の面では、大規模映像や電気自動車がすごい。中でも、バスからゴミ収集車まで二千台を電気自動車だけでやり抜いた運行管理技術は進んでいる。また、巨大LED映像もすさまじい。大型ビルの壁面全部が画面になる派手さには、日本人の想像を絶するものがある。
日本には、アジアの美術や技術の情報が入らないから、いつまでも「日本は技術で先行している」という神話が続いている。しかし、大規模化と多数管理では中国が、映像技術では韓国の水準が日本を上回っている。 私は、上海万国博で、日本の民間企業の連合出展、日本産業館の代表兼総合プロデューサーも務めてきた。日本産業館のテーマは「日本が創るよい暮らし」。その表現には、現在の日本の若いセンス「J-感覚」を打ち出した。幸い、この展示館は大人気を博し、経営的にも黒字だった。 長い中国との共同作業で学んだのは次のことだ。
第一は、「人を見て法を説く」中国式の論理学を知ることだ。そのためにも、主体としての計画性が重要である。そして何にも増して、中国に媚(こ)びないこと。中国人は自分に媚びる者を決して尊敬はしない。残念ながら、現在の日本政府の対中政策は、このいずれにも反しているように思える。
≪バブル崩壊か消費拡大か≫
さて、万国博が終わって、中国経済はどうなるか。投資、なかんずく不動産投資が行き詰まってバブル景気の崩壊となる可能性はかなり高い。日本もスペインもドイツも、大博覧会の後では不況になった。いわゆる「祭り疲れ」の現象だ。その半面、万国博が生み出した消費刺激が一段高い消費需要を生み出す期待感も大きい。
1970年の日本万国博(大阪)は、ファストフード、カジュアルウエアといった新しい産業を生み出し、団体海外旅行の大ブームをもたらした。このことによって、日本には新産業新文化が生まれた。建築、照明、服飾、飲食の分野で若いスターたちが生まれ、ブランド文化を創(つく)った。昭和末期の20年間、日本の経済と文化を支えたのは、日本万国博で育った新産業と若き芸術家である。
「史上最大」の規格と派手さを誇った上海万国博覧会がどんな産業と需要、どんな人材を生み出すかは、これからの問題である。中国には、それを育てる第二、第三弾の企画を期待したい。
※産経新聞「11月1日」から転載しました。