久しぶり

 パパの兄ちゃん

会いに来て

 わたし一目で

大好きになった


昨日は、パパのお兄ちゃんが久しぶりに会いに来てくれて。


会うなり「大好き〜❣️遊んで〜❣️」モードに突入した、たまちゃん。


パパのお兄ちゃんは、家族から仙人のようだと言われるほどに、とーっても優しい人で。


いつ会っても心がホッとする、気持ちの安定した楽しい人です。


みんなの好きが、たまちゃんにもすぐ分かったようで。


最後は、お膝でうたた寝していました。



🐾 🐾 🐾




昨日の記事からの続きで、「なぜ身近で大切な人の話ほど忘れてしまうのか❓」について考えてみます。


私は、若い頃から記憶力に自信がなくて。


大学生の頃は、2ヶ月の休みの後にクラスメイトの名前がすぐ出てこなかったこともありました。


また、すごく好きなアーティストさんの曲すら、タイトルが覚えられなくて。


大好きな風くんの「死ぬのがいいわ」も「死ぬのがええわ」だっけ❓とあやふやだったりします。



息子の話も、毎回新鮮な気持ちで「うんうん❗️」と聴いているのに、「ママにこの話するの、もう4回目なんだけど。。」と怒られたり。


最近も、親友なおふたりから、それぞれ「それ、以前にゆきちゃんに話したよー」とつっこまれたり。


最近の気づきをドヤァと語っていたら、夫からも「それ、オレ、昔から伝えてるよね❓」と呆れられたり。


ほんにもう「ワタシーーーー!!!」と自分で情けなくなります。



いろいろな分野での学びも、ノートを取っていて追いつけないと、言葉がふっと消えてしまって。


書きかけの文章が羅列しているノートになっていたりもしていて。


仕事をしている時も、マニュアルが覚えきれなくて、毎日重いファイルを持ち帰って復習していなぁと遠い目になったりします。


そんなことを思い出したら、私の毎日の異常な疲れやすさの原因が分かった気がして。


3歩歩いたら忘れるニワトリが、人間界にひょっこりお邪魔しているのが、私なんだなと。


(記憶が溢れないように、メモするまで、繰り返し脳内で唱えている時もあります。)



そのくせ、夫にされた嫌なことは、鮮明に覚えてたりするのは、その記憶を毎日反芻して、強固な記憶に定着させてきたのだと気づいて。


そりゃあ幸せになれんかったはずだわ…と深い納得です。


反対に、身近な家族や仲の良い人の話ほど、リラックスして聴いているので、楽しかったなぁという感情の記憶だけ保存して、内容はニワトリってて。


それは悪意が100%ないことだったけれど。


実は、悪気なく、もやっとさせたり、悲しくさせたりする行動だったなぁと反省しています。


そして、これからは、楽しい話や教えてくれたことほど、ネチネチと反芻して、記憶に残せたら良いなぁと思いました。


そのためにも、まずは嫌だった記憶を断捨離して、楽しいことを記憶するスペースを作ります。


その上で、やっぱりニワトリな私がいたら、そこはもう許してくださいませ。