四十路までに
第二子を迎えなくてはと
思っていた理由は
コチラです↓
第二子に関し
不妊治療をするか否か
悩みぬいた時期のハナシは
コチラです↓
この投稿は
流産経験についての
記述が多くなるため
赤い液体のハナシなど
苦手な方には
オススメいたしません
私は間もなく
小6となる
息子を出産後
2度の流産を
経験しています
1度目は
36歳でした
処置してくださった先生に恵まれ
身体の調子は
右肩上がりで回復
術後1週間は
普段と違うところも
ありましたが
1カ月が経過する頃には
もとの生活に戻っていました
この「もとの生活に戻る」
というのがなかなか
クセモノで
出産後は
それまでの生活が
一変するというのを
息子の時に実感していたため
流産後は
「もとの生活に戻っていく」
というのが、なんとも
複雑な感情を生みました
それでも当時は
新潟→岩手の
引っ越しが
重なっていたため
家族の生活環境を
整えるのに奔走
精神的などん底は
遅れてやってきて
数か月後でした
それはまた
書きたい時に書くとして
2度目の流産は
2年後でした
流産の診断が
1度目の時より更に早く
(1度目も初期流産)
事実を受け入れられないまま
手術に臨みました
この手術が過酷で
術中の痛みも
忘れられませんが
(1回目と病院が違うとはいえ、同じ処置とは思えなかった)
一晩中、病院のベッドで
眩暈と吐き気と闘ったことも
昨日のことのように
思い出せてしまうほど
強烈な印象を残すものでした
(恐らく、麻酔の影響)
2人目を欲しいと思うあまり
今いる息子と
2度と会えないのでは
と思うほど
身体的にキツイ経験をしました
1度目の流産は
日帰り手術でしたが
2度目のこの時は
特別な理由もなく
2泊3日で
点滴の痣が
沢山できました
自分の中では
なかなかしんどい経験の
直後だったにも関わらず
この時の私は
ものすごく焦っていました
40歳を迎えるまでに
第二子を迎えたい
迎えなければと
ものすごく焦っていました
つい先日
辛い思いをしたのに
もう、息子に会えないかもって思ったのに
早く、また妊娠しなくちゃと思っていました
さすがに自分の中で
焦っている自分と
そんな自分を
「ヤバイんじゃないのこの人」と
思っている自分がいて
しかしどうにもならない
そんな精神状態でした
ホルモンバランスが
崩れてたからなのかな
真相はわからないままだけれども
そんな暴走列車の私を止めたのは
1つに身体の状態でした
1度目の流産の時にはなかった
術後の大量出血があったのです
手術直後ではなく
術後約1か月が
経過したあたりでした
最初は再開した生理が
重いのかと思いましたが
あまりに尋常ではない出血に
手術した病院とは
別の病院に駆け込みました
そこで、生理ではなく
術後の出血が
子宮に溜まっていて
溜めきれなくなり
溢れてきたものだろうと
言われ、納得がいきました
身体が安定しないまま
それでもまだ
40歳までに出産を
と焦っていた私は
ある日ネットで
神田うのさんの
記事を目にしました
SNSでファンの方から
お子さんがお1人であることに対し
2人目を考えないのか尋ねられ
ご自身の3度の流産経験を
発信されたという記事でした
その記事の中に
「(第一子である娘さんの出産後、3度目の妊娠に際し)3度目の正直、と思っていたら、2度あることは3度ある(流産)、になってしまった」
という内容が書かれていたのです
この内容に
頭をカナヅチで
殴られたかのような
衝撃を受けました
2回流産したから
次こそ無事に産めるはず
3度目なら神様だって
どうにかしてくれるはず
と、当時の私は思い込んでいました
そんな保証はどこにもないと
2回も経験しているはずなのに
そこでやっと
暴走列車が
スピードを落とし始めました
列車が完全停止したのは
その直後に私の父が亡くなり
手続きに奔走することと
なったためです
相続の手続きが落ち着いた頃には
私の40歳スタート地点も
すぐそこでした
これであきらめがつくのかと思いきや
この「40歳スタート」が
私にとっては
とんでもない爆弾でした
長いけど、書き始めちゃったから
この機会に書ききりますー
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