昨日の投稿で宣言したので
一先ず書かせていただきますね
1度目の流産をした時の話です
今はそれほど酷くないと
自分では思っているのですが
当時は悲劇のヒロインでした
ステージ上でビカビカライト浴びて
これでもかと悲劇のヒロインでした
ですからね
本日の投稿内容も
第三者視点だと
ギョッとされたり
呆れたり
あるかと思いますが
ステージ上で
スポットライト
浴びておりましたもので
そこを踏まえて
覗いていただけましたら
幸いです
夏に流産し
身体が落ち着いた頃
夫婦でお寺へ行き
供養していただきました
それは年末の気配が感じられる
時期だったと思います
ふと
あれ年賀状って出していいのか
と思ったのです
お腹の中に
命があって
それが天に還ってしまった
家族が亡くなった、という
感覚でいたのです
でもな、流産で喪中はがき
聞いたことないな
しかし、家族が亡くなったのに
年賀状っていう気分でもないな
こんな時に現代は
本当にありがたいことに
ネットで検索をかければ
大抵の答えがわかります
スマホで
「流産 喪中」と検索しましたよ
そうしましたら
私を悲劇のヒロインステージから
グイグイ引きずり降ろしてくださる
投稿で溢れかえっておりました
私が最初に目にしたのは
今はなき主婦のための掲示板で
特に流産経験者が集っている
グループ内の投稿でした
もう掲示板がないのと
数年前のことなので
内容はうろ覚えなのですが
質問者さんが質問されていました
流産して
年賀状を出す気分ではない
年賀状をいただくのも辛い
喪中ハガキを出していいか
そのような内容だったと
記憶しています
これに対する返信が
いやまぁ、すごくて
私は目が覚めました
大体の返信が
「私も○○週で流産したものですが」
「お気持ちお察しします」
などと、経験者であることを
冒頭で語っていらっしゃいます
そのうえで
「そんなの聞いたことありません」
「喪中はがき出すって、流産したって書くんですか」
「誰が亡くなったのか聞かれたらどうするんですか」
「自分から流産したって周囲に広めたいんですか」
「もらった方の気持ちを考えたことありますか」
みんな、スゴイ
経験者だというから
質問者の気持ちが
わからないではないでしょう
そのうえで
辛辣、というか
シビア、というか
(当時の私にはそう見えた)
ワタクシ、本当に目が覚めました
質問者さんに
私の代わりに矢面に立っていただいて
ありがとう、と思いました
ネットって
ニュースを見るにも
自分が興味のあるものばかり
拾ってきてくれて
自分の世界に籠ることができてしまう
なかなか怖い世界だよなぁなんて
思うことも多いけれど
この時ばかりは
自分の視界が
ものすごく狭くなっていることに
ネットが気づかせてくれて
恐らく周囲の身近な人からは
こんなに直球な答えをもらえる
時期でもなかっただろうから
ありがたい場だな、と感じました
このブログを
当時の私と同じような状況で
覗いてくださっている方が
いらっしゃったら
今の私が
当時の私に
アドバイスするとして
年賀状っていう気分じゃないなら
喪中はがきはスルーして
寒中見舞いを
お送りしたらいいのでは
と、思います
いただくのが辛いという
視点については
年賀状って
自分が送っているものも
誰かを辛くしていることが
これまでにあっただろうから
それで相殺って思う
(自分が辛い方の気持ちだけね)
(相手を辛くした自分がそれで許されるとは思わない)
私は、友人たちの近況や
お子ちゃまたちの成長を
知ることができる
年賀状は
楽しみなので
いただくのが辛い、は
なかったのですが
年賀状って
喪中ハガキ出しても
来るときは来るしね
今年は父の逝去で
喪中だったのですが
喪中ハガキ出しても
来るしね
私も、喪中ハガキいただいたのが
今年だったか去年だったか
わからなくなってしまって
先方から年賀状来るまで待つ
っていうこともあったし
口頭で喪中の
お知らせをいただいていたのに
年末にかけて失念してしまい
投函した後に
思い出したこともあったね…
(本当に申し訳ございませんでした)
ただ、いずれにしても
同居家族の意向は
話し合って確認するのが
大切と思います
結局、当時の私は
家族全員分の
年賀状作成を担当していて
夫の仕事関係には作らねば、と
考えており
だったら全部作れよ、と
自分にツッコミ
無難に例年通り年賀状作成、投函しました
あの、掲示板を覗いて
目が覚めた感覚
未だに忘れられないっす