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幸縁ノ縁がわ

ゆきえのえんがわ

yukieです。

 

終了しました3月6日(水)イベント情報
宝石白イリスカラーセラピー30分3000円
宝石赤3月6日(水)10時~13時(最終受付可能時間)
宝石白Mia Room 新潟市北区大月1656
宝石赤ご予約・お問い合わせはメールにて
yukienoengawa☆gmail.com
上記☆を@へ変換のうえ送信ください

 

『電子ピアノでクラシック』シリーズ復活を祝しクラッカー

 

今日は私のピアノ遍歴をまとめてみることにしました。

 

ピアノを始めたのは5歳のとき。

 

幼稚園へ向かう道中。

個人のお宅に『ピアノ教室』の看板がありました。

 

その前を通るたび

「ピアノやりたい」と言いまくった私。

 

通園途中なので、毎日です。

 

母は私にバレエをやらせたかったらしいのですが

 

行き帰りの「ピアノやりたい」攻(口?)撃に根負け。

 

その看板が掲げられていた先生のお宅でお願いすることになりました。

 

当時住んでいたのは賃貸アパート。

しかし多くのお宅からピアノ

(電子ピアノではない)の

練習音が聞こえてくる

今となっては貴重な物件。

 

そんな環境にあった私は

祖父が買ってくれたアップライトピアノで

ピアノ人生をスタートさせました。

 

ソルフェージュから始め

小学6年生までお世話になった恩師のもとでは

 

バイエル、ソナチネ、ハノン、ツェルニー、バッハのインベンション…

 

クラシックピアノを習うどの子も通るのであろう、基礎を学びました。

 

また、教室の発表会ではハイドンを中心に古典作品を多く演奏しました。

 

小学校では合唱の伴奏を任せていただく機会が多く、人前や大舞台で演奏する楽しさを味わうことができました。

 

仙台市内での引っ越しを機に中学1年生からお世話になった恩師のもとでは、ショパンを中心としたロマン派の作品を多く演奏しました。

 

この頃、生活の中心が部活動(バドミントン部)となったことで、ピアノをやめる選択肢が挙がり、恩師に伝えたところ

 

「好きな曲1曲でもいいから、続けてみたら」

 

と言っていただき、そのありがたいお言葉を支えに、受験も就職も、結婚も妊娠出産も、親の反対も乗り越えて

 

「趣味として」、仙台生活最後まで、ピアノを続けてきました。

 

ピアノの先生やピアニストになりたいと言ったり書いたりしていたのは幼稚園の頃。

 

母親の猛反対に合いました。

 

親は絶対。親は神様。くらいの気持ちでいたので、私の夢は木っ端みじんに砕け散って…

 

高校生や大学生になる頃には「それでもなりたいメラメラ」という熱意は残っていませんでした。

 

と、いうわけで

 

こんな年まで「ピアノ続けてます」と言うと

音楽科の高校とか大学とかへ行っていたのだと勘違いされるのですが、私は普通科の高校を卒業して、総合大学の法学部卒でございます。

 

この年で「ピアノ始める」と言うと

現在小学生の息子が始めるのだろう、と思われるのですが、母親の私ですゲラゲラ

 

第二の恩師のもとでは「ピアノ教室の発表会に出る」ことがモチベーションとなって、教室発表会へ向けて、弾きたい曲を選曲し練習する、ということを続けました。

 

中学1年生以降、教室発表会で演奏した曲は以下。

 

中学1年生 シューベルト ソナタ イ長調 第3楽章

中学3年生 ショパン 華麗なる大円舞曲

高校1年生 ショパン スケルツォ 第1番

高校3年生 ショパン バラード 第1番

大学1年生 ショパン ソナタ 第3番第1楽章

大学3年生 ショパン アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ

大学4年生 リスト メフィスト ワルツ

社会人2年目 ショパン 幻想曲

社会人4年目 リスト 愛の夢

退職後、妊娠中 ショパン 夜想曲

息子1歳 辻井伸行 ロックフェラーの天使の羽・ヴェネツィアの風に吹かれて

息子2歳 辻井伸行 花は咲く(ピアノソロVer.)

息子5歳 ショパン バラード 第3番

 

高校3年生のバラードは、親から「もういい加減ピアノやめなさい」と言われ、これが最後と臨んだ発表会だったので、後にも先にもこんなに練習したことない、と言うくらい練習しました。

 

社会人2年目の幻想曲では、ピアノ人生史上最大の大失態を経験。

 

『人生史上最大にトチッタ発表会エピソード』

 

 

(今の夫が初めて発表会を見に来てくれた年でした。当時も今も、笑い話)。

 

妊娠中は悪阻が本当にひどく

練習も本番も悪阻との闘い。

 

息子が幼稚園へ入園してからは

教室の発表会へ出る際

こんなことを思うようになりました。

 

もう、私が続けるんではなくて

息子に習わせて

サポートする側に回った方がいいのでははてなマーク

 

自分も、そんな年になったんじゃなかろうかはてなマーク

 

私ってば、何してるんだはてなマーク

 

しかし、仙台で最後に演奏したショパンのバラード3番は息子の記憶にもあるらしく、会話のネタにできて助かっています。

 

例えば、幼稚園で最後の発表会が刻一刻と近づく中、全くピアニカを練習しない息子に対して

 

「練習しないで本番だけ上手にはできないよはてなマークママだって、毎日毎日ピアノ練習したから、本番で弾けたんだよ。練習しなかったら弾けないよ」

 

と言ったら、次の日からあっさり練習し始め、幼稚園の担任の先生にビックリされましたあせる

 

そんな経験を経て「母親である自分も、やっていい」と、自分自身に許可を出せたように思います。

 

音符

 

アップライトピアノが電子ピアノ(というよりかは、キーボード)に変わったのは、結婚のタイミングです。

 

楽器不可の賃貸物件に入居したので、アップライトピアノは持ち込めませんでした。

 

実家が近かったので、弾きたい時には実家に立ち寄ればいいと考えていました。

 

が、私の結婚の翌年、両親が離婚。

 

実家を引き払うから、ピアノをどうするか決めるように言われました。

 

私が引き取ることはできず、かと言って当時の私に「誰かを頼ってピアノを保管していただく」という選択肢はなく、泣く泣く手放すことに。

 

結局、実家は引き払われず昔と同じ場所にあるので、今振り返れば、両親は本当にピアノが苦手だったんだろうなぁと思います。

 

今は、いつかまた、電子ではないピアノを楽しめる日がくることを楽しみに、曲のレパートリーを増やしていきたいと思っているところです。

 

さて…

この度、嬉しいご縁をいただき、新潟の地でピアノ生活を再開することになりました。

 

実は、これまでのピアノ人生でロシア作曲家の作品を演奏したことがありません。

 

弾きたい曲はショパンにもベートーベンにも、まだまだたっくさんあるのですが…

 

せっかく新たなご縁をいただきましたので、私にとって未開の地である、ロシア作曲家の作品を開拓していこう音譜と考えているところです音譜

 

ウキウキわくわくラブラブ

好きなことがあるって、いいですね音譜

本日は長々お付き合いいただき、ありがとうございましたニコニコ