日本に来て、久しぶりに会う母を迎えに行ったら病院の検査の後で。
全然違う検査だったのに腫瘍が見つかった、6月。
82歳。ひとりで医師から病名と手術の日を聞いて出てきた母に会い、どうしてもう少し早く来て付き添わなかったんだろうと後悔した。
だけど手術は3ヶ月後で、慌てることもなく。
あまり考えすぎずに、なるべく会いに来て普段通り過ごそうと思った。
忙しくなり、あまり会いに来れなかった7月。
後半になり夫と息子が海外遠征に行ったので、8月にかけて私はほとんど両親と過ごした。母は何も症状はないし、私はいつも通りの強気な父と喧嘩しながら、(私ここにいて何か出来てるのかな)と思いながらもとにかく一緒に過ごした。手術前に体力つけるために毎日一緒に散歩した。
手術が近づいて、急になんだか不安になる母。コロナにもなったり父が少し弱ったり。
私たちは合間に会いに来て、孫のトラと夜までトランプ大会で大爆笑したりして今を楽しんだ。
9月、姉と入院する母に付き添った。入院する前夜、私と姉と両親=50代のおばさんふたりと80代のじいさんばあさんでトランプでだいぶ盛り上がった。神経衰弱もやった。上田家のいつものやつだ。
病棟に入る母に、力をあげる!とハグしたら涙が出てきちゃって、お姉ちゃんに見られないようにごまかした。
いつの間にか私と同じ背の高さになってしまった母。ずーっと私より大きかったのに。
手術の朝、もう一度顔を見に行った。
この時は母の不安を吹き飛ばすべく、平気な顔して笑って見送れた。父の背中はしょんぼりと小さくなってた。
手術中、私は病院の駐車場で祈りながら待機した。
母の手術の日も翌日も、姉と笑いまくった。いろんなことギャグにして姉と笑いまくって過ごした。父はしょんぼり落ち込んだかと思いきや毎日ゴルフやら体操やら飲み会やらあちこち出歩きまくり、可哀想なおじいさんの図とは程遠かった。
笑ってたら何もかも上手く行く気がした。
手術は成功した。
術後はなかなか面会ができないシステムだったけど、病院の外から4階の窓にたまに現れる母の姿を毎日見に行った。こんなに母がラインを使えたのは初めてだった。私は母の動きに一喜一憂するストーカーばりだった。それを逐一東京の姉たちに写真付きで報告してた。
そして、母が無事に退院した。
まだここから復活するまで、気は抜けないけど。
父のいる家に戻り、とても嬉しそうな母を見るとその強い生命力を信じられる。
父は母のいない間、毎日出掛けて飲みに行って夜中に帰ってきたりしてた。ちょっとムカつくけど、もうすぐ84歳なのに凄いじいさんだなと思う。しょんぼりされてるよりずっといいのかもしれない。
そんな父と母が揃った夕食。
珍しく私が準備した。
82歳で生まれて初めての手術を乗り越えて笑ってる母と、母が戻ってきてめちゃくちゃ嬉しそうな84歳目前の父。
もしかしたら、私の方がこの怖さとか不安に負けそうで弱くなってたのかもしれないな、と思った。
親の年齢を考えると、覚悟もしてるはずだけど。
やっぱり、やっぱり、元気に生きていてほしい。
母のシャバを祝い日本酒で乾杯する父と私。
お腹にたくさん開いた穴を「気持ち悪いね!」って笑いながら見せる母。
笑う門には福来る。笑いって凄い力だ。
彼らは強い。
私も強くなる、まだもっとこれから強くなれるんだなと思った。