息子は現在7才、小学1年生です。
小さな頃から、感情の波が激しく、ちょっとしたことで癇癪を起こす、いわゆる癇の強い子。
とてもこわがり、新しいことに挑戦するのに時間がかかる、そんな子でした。
幼稚園に入った頃は、手が汚れるのが嫌、においに敏感、細かなことが気になってごはんが食べられない。
親としては大丈夫かな?生きづらくないかな?と心配になることもありました。
そんな息子も成長とともに、ごはんがたくさん食べられるようになったり、神経質なところがやわらいだりと、変わったなと思う部分もあります。
でも、変わらない感受性の強さもあり、わたしはそれをとても大切に思っています。
わたしが第二子を妊娠中、息子が5才だった頃。
ふとした会話の流れから、年を取ることについての話しになり、
「死んだらどうなるの?りゅうせい、骨になっちゃうの?」
と泣いたこと。その姿を忘れられません。
その小さな体で死というもの、だれもに訪れるその悲しみを感じていること。
その姿に心がしめつけられるようで、わたしも泣きそうになりました。
同じくらいの時期に、また何気ない会話から、
「ママ、あっという間におばあちゃんになっちゃうね」とわたしが言ったら、
「そんなの嫌だ」と泣いたこともありました。
そんな息子が最近言ってくれた言葉、それが「産んでくれてありがとう」でした。
唐突に「りゅうせい、死んだら別の子になる」と言い出した息子。
生まれ変わりのことかな?と思い、話を聞いていると、
「次は女の子になりたい。でも赤ちゃんを産むのは嫌だ」と言うのです。
わたしがどうして嫌なの?と聞くと、
「痛いから嫌」というので、「女の人がみんな赤ちゃんを産むわけじゃないんだよ。産みたい人が産むんだよ」と伝えました。
息子が「じゃあ、どうしてママは痛いのに赤ちゃんを産んだの?」と聞きました。
わたしは「会いたかったから」と答えたのですが、それを聞くと息子はぎゅっと抱きつきながら、
「ママ、産んでくれてありがとう」と言ったのです。
そんな言葉が聞けるとは予想もしていなかったし、何気ない会話のなかでの言葉だったので、とても驚いて胸がいっぱいになりました。
だれに教わったわけでもない、自然に素直にそんな言葉が出てくる息子の感性がとてもとても愛おしかったのです。
まだ小さな子どもだけれど、まっさらの心をもった子どもだからこそ、生と死というものに大人よりもよっぽど真正面から向き合っている。
我が子から教わること、受ける感銘は大きいです。
そして、「産んでくれてありがとう」
その一言だけで、これからどんなことがあっても生きていける、そんな宝物をもらった気がします。