8月に突入しました。

月が変わって気持ちも変わるかと期待したものの

さすがに 父の体調がかんばしくなさすぎて

増して まだこれからいろいろ検査しないと なんにも進まない状態なので

母も私もちーっとばかし 疲れてきました…。

 

 当の本人は どうやら 先週火曜日の全身麻酔がまだ副作用を起こしているらしく

今週月曜日に退院してきたのに いまだにPCの扱いや

固定電話の電話帳の呼び出し方なんかが よく思い出せないみたいで

確かに せん妄状態が続く人も多いので あてはまるっちゃそうだけどね。

そもそも 体内に複数も癌が存在していて 微熱が続いているだけで

きっと頭もボーーっとしているに違いないと思われます。

 

 

 母は 父が4,50代の頃から こういう晩年を迎えるだろうと

覚悟はできていたようで 昭和のザ・サラリーマンをやってきた人だから

今で言う過労死LINEなんてとっくに超えて毎晩残業していたし

一日にセッタ(セブンスター)を80~100本は吸っていたし

休刊日作りなさいって医者に言われても 糖尿病のボーダーラインをうろうろ

しているうちは平気だ!と 根拠のない持論で毎日浴びるように飲んでいたのだから

ろくな老後を迎えないだろうって 思ってたそう。

ある意味 夫婦の間では予想していた通りに体調不良になってきたね って

そんな会話すらしている。

 

 一方私にとっては それはいくらなんでも受け入れがたい現実で

いや 過去からしてあり得ないわけで

「80歳半ばになるのに もう痛いことされたくないから許してくれや」

と言われても もしかしたら治せる部分もあるかもしれないやん!!って

思っちゃうし 急に ほんと急に こんな弱弱しい父の姿と

覚悟を決めてしまっている母の表情をみせられると 想像してないから

どうしても 将来に希望をもって臨んで欲しいと願ってしまう。

 

 

 

 この2年ほどだんだん耳が聞こえづらくなってきていた父に

先月頭に「熱中症かも」という話から週単位で弱っていき

救急外来で即入院その晩に応急処置のオペをするに至った経緯を

説明していても 全然きこえていないみたくて

おそらく 頭が働いていないのと 考えたくないのと両方とは思うけど

何回も何回も同じことを尋ねられたり どうして 今ここに至ってるのかと

問われるたびにいきさつを説明することに

母も私も疲弊している。

聞こえないのであればと思って 医師から説明するときもらった資料を

手渡しても 今度は「見えない」といって でっかい虫メガネを持ってくる始末。

 

 お手上げです。

 

 ずっと私が精神疾患があって処方薬を服用しているせいで

車に乗らないようにってお薬手帳に書かれているからか

マイカーの鍵を持たせてもらえなかったのに

先月から ほとんど毎日のように運転手をしていますよ~。

私にとっても 10年くらい乗っていなかったので

最初はちょっと思い出しながら ゆっくり運転してるのに

急発進しちゃったり 急ブレーキ踏んだりと ギクシャクしてたけど

あっという間に 勘は戻ってきて とりあえず高速の出入り口とかを通る

国道なんかも スイスイと走れるようにはなった。

 でもね。悲しいかな 私はめっちゃ方向音痴というか

往き道で右側に郵便局の車が止まってたとか ゴミ収集車がいたとか

そんなことで道を走ってしまうので 往路がわかんなくなるんだね。。。

え ここにあったはずの信号機がない!!とか。

いや当たり前だわ 4車線とかだと 信号もあっち向きとこっち向きで

付いてる場所がちがうもんねぇ(苦笑)

 

 まだまだ 父の中で 癌組織なのかどうかを特定する生検を受けるか否か

揺れているみたいで コロコロと答えが変わるのに

医師は 「そうか お父さん 検査受ける気になってくれたんだね」と

次の段階へ進む準備を進めていってくれていて 電話がくる。

その電話を切った後 家族3人の空気がどーーーーーーーんと重くなり

昨日結論出した話を また一から始めることになっちゃうんだね。

 

 こんなとき 享年48歳で亡くなってしまった弟がいてくれたらって

心から思う。

弟もまた 末期がんで亡くなった人で けど 同級生の奥さんのために

7年も辛い闘病生活を送ったすごい人だったのよ。

自分では もう長くはないと思いながら 奥さんが出来る限りの治療を

強く望んだので すべて受け入れて 外科的手術も放射線も抗がん剤も

治験も自己採血したものから免疫細胞を強くして身体に戻すという方法も

全部試したのに 癌には勝てなかった。

 

 父は息子のそういったことを自分に当てはめて

若い人ですら 無理だったことが 高齢の自分に耐えられるわけがない

と 言うのだ。確かに。

 それは間違っていないし 母も私もそんなことは望んでいない。

立ち向かって積極的に治療に専念してくれなんて 言ってない。

ただ 何も調べもせず 何が効くのかも調べないで そのまま

成り行き任せに逝かせてほしいというのは ちょっと待ってって思う。

 

 

 

 すごく矛盾してるって 自分でもわかってはいるのよ。

かつて 私自身が鬱やパニック発作 希死念慮にかられて

一旦正気に戻る時がある。軽躁状態っていうんだよね。

そのとき 何度も こんなに周りに迷惑かけて 娘のことも傷つけて

治るかどうかもわからない状態が何年も続いて ◎なせてほしいって

思ったのは紛れもない事実。

 だけど 父にはそれを許してあげられないなんて 自分勝手なんかな。

変な話 このままじゃ がん保険も下りないんだって。

癌があるってわかってるのに なんなんだ それ・・・

 

 あと何日こんな気持ちが続くのかなぁ。

私 ちゃんと 人らしくいられるかなぁ・・・

ついつい 父に対して 優しく接していこうって思うのに

厳しい口調で論破したくなってしまう。

内容で というよりも 聞こえないふりしないでよ! とか

ちゃんとこっち見て 話しを聞いてほしいの!!! とか

そういうことで 声を荒げてしまう。

 

 相手は病人で 自分で歩けるのが不思議なくらい体力も落ちて

ひどい状態にあるのに なんで優しくしてあげられないんだろう。

 今は 肺癌の疑いも濃厚で 誤嚥がこわいからと 入院中は

全部とろみのついたものしか 食事にでてこなかったらしいのに

家では 食べたいものを一口だけ 食べておなかいっぱい という父。

文明堂のカステラが大好きだったので 切り分けておいても

ザラメのところが 飲み込むのが大変やわ ってうつむいていた。

 

 どうしたら 私自身だけでも元気にしていられるかな。

優しく父と母にしてあげたい。だから 余裕を持ちたい。

ひと晩じゅう眠れなくて 咳してトイレにいって うがいして

家の中を歩いている父の足音が 毎晩聞こえてくるのが

悲しすぎるんだ。それを正直に言えない私がいる。

 

 なにをしてあげたら 笑ってくれるんだろう。

 

 

 

 

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