Xのタイムラインにここ数日表示される「ディズニー離れ」。

それについての呟きが、なかなかそうだなと思うものもあった。

だから、今日は「ディズニー離れ」とそこから派生することについて書いてみようと思う。

 

どうやら、『若者の』ディズニー離れが加速している?ようだが、わたしの実感としても、わかる。

ここ2年、わたしはディズニーリゾートに行っている。だから、説得力に欠けるかもしれないが、わかるのだ。

 

何故かって?

わたしの子どもの頃のようなテーマパークではないから。

わたしが子どもの頃は、今よりももっと空いていた。

パークを歩けば、いろんなキャラクターに出会えた。

課金しなくても、たくさんのアトラクションを体験できた。

レストランも今ほど混雑していなかった(はず)。

そして、パークチケット代が昔よりもずっと高くなった。

 

Xで興味深かったのが、「若者がディズニー離れをしているのではない。ディズニーが若者から離れていっているのだ(主にお金的な理由)」というような投稿だ。

2年前に久しぶりにディズニーランドに行った時に、2017年1月以来のディズニーリゾートへの来訪だったこともあり、いろいろ変わっていたことに驚いた。

なかでも特に衝撃だったのが、DPAの存在だ。わたしはこれを知ったときに、ディズニーリゾートは、もはや夢の国ではなくなり、課金制のパークになってしまったと思った。ただでさえ安くはないパークチケット代を払うのに、課金すれば時間短縮ができるDPAの存在が、急に「夢の国」から「お金が必要な現実」を突き付けてくるものになったように感じた。

もちろん、課金しなくても楽しむ方法はある。

わたし自身、昔ほどアトラクションに魅力を感じなくなったので、課金せずにのんびりパークを楽しむことができる方がわたしの好みなのだ。

 

そして、わたし自身がディズニーに昔ほどの魅力を感じなくなっている。

もちろん、時々行けば楽しめるし、また行きたいと思えるが、年に1回程度で十分なのだ。

何故かと言えば、わたしにはディズニー以外に好きなことがたくさんあるから。

 

本を読むこと、歌うこと、ピアノを弾くこと、美味しいものを食べること、ブログを書くこと…

どれも日常でできることばかりだ。

わたしにとっては、非日常よりも日常の方が大事だ。

だから、わたしの中では「ディズニーリゾート=非日常体験の代名詞」なので、時々でいいのだ。

期間限定のものよりも、いつもの看板が好きなのと同じ感じかしら。

 

そうは言っても、多分今年もパークに行くつもりだ。

時々だからいいのだ。いつもじゃなくていい。

わたしがものごころつく前になくなってしまった「入場券」はきっと復活することはないんだろうな…

散歩気分でパークに行ってみたいけれど、散歩するなら人が少なくて空気が澄んでいて、自然を感じられる場所がいい。

結局は、パークで散歩することはないのかもしれない。

 

 

それから、若者の「車離れ」「旅行離れ」「恋愛離れ」と何かと「〇〇離れ」と言うようだが、それも好みの問題だから、離れていることが悪いことではないし、単純に興味を惹くものではないから、人が寄り付かなくなるだけなのだと思う。

車にお金をかけるよりも、他の趣味にお金をかけたい人もいる。

旅行するよりも近場の穴場的な場所を発見したり美味しいものを食べたりするのが楽しい人もいる。

今は特に宿泊代がインバウンドで高いから、余計にだろう。

そして、恋愛も。したい人はするだけだし、興味のない人はしないだけだ。

全部、興味があるかどうか、好みかどうかなんだろう。

自分の好きなところに時間やお金を充てるだけ。

わたしも好きなところに時間とお金と気持ちを充てるだけ。

 

 

今回はここまで。読んでいただきありがとうございました♡