こんにちは! ゆきです!
今朝、起きたときに「今日はお休みかな~」と一瞬思ったのですが、お休みでもなく仕事に行く日だったことを思い出し、わたし疲れているな~(笑)と思った目覚めでした。夏疲れの影響なのか、睡眠の質がそこまで…なので、明日一日仕事をしたらお休みなので、ほどよく気分転換して休息しようと思います。
来月から再来月上旬まではバタバタと体力を使いそうなので(自分でいろいろ予定を入れたのだけど)、体調を崩すことなく夏を乗り切れそうなので、このまま無理せず過ごしていこうと思っています。
今、「赤毛のアン」と「翻訳書簡『赤毛のアン』をめぐる言葉の旅」を並行読みしています。
読書が楽しすぎて、もうっ最高と思いながら過ごしています。
どちらも再読本ですが、「翻訳書簡~(以下略)」を読んでアンの世界にどっぷり浸り、「赤毛のアン」を読んで、翻訳とは何ぞやを萌音ちゃんと一緒に考え、一緒に読み進めている気分で、翻訳のすばらしさを体感し、また「翻訳書簡」を読んでアンの世界に浸る…を繰り返しているので、楽しいんですよね。
ずっと昔、わたしも翻訳家になりたくて自分で訳そうと試みたのですが、単語をつなぎ合わせてもどうにもならないことを目の当たりにして、諦めました(笑)言葉をつなぎ合わせても、意味がすっと通らないし、イメージができない。
翻訳は原文に書かれている映像(イメージ)を言語化することだと河野万里子さんが仰っていて、なるほどその通りだと腑に落ちました。こういう考え抜かれた翻訳本を読むと、心が震えるくらいに感動します。
「赤毛のアン」は、人物描写と風景描写が特にすばらしく、再読なのに初読時よりも胸動かされています。本を読んでいてちゃんと映像が見えますし、アンもマリラもマシュウもみな愛しくて、読み終わりたくない!と思ってしまいます(笑)
大好きな本は読み進めたいけれど、読み終わりたくないという葛藤を抱えて読むので、終わりに近づくとソワソワするんです。きっと今回もそうなるような気がしますが、また読み始めればいいんだと思って、再々読する日を楽しみにしようと思います。
話を戻すと、登場人物の言葉遣いから彼ら・彼女らの性格を読者は想像するので、訳者はとっても細やかに気を配って訳していることを「翻訳書簡」を読むとよくわかります。翻訳はその作品世界を愛し、理解し、そしてそれを言葉にすることなので、表面的な理解ではなく、奥底まで理解するからこその奥行きを感じられる表現になるのだとわかりました。これを自身で体現するとなると、なかなか骨が折れそうです。
ですが、そのうちちょびっとでも一部文でも翻訳してみたいなと思います。
手元にある' Anne of Green Gables' をしっかり読んでみようかな(途中でやめてしまったから)。
今回はここまで。読んでいただきありがとうございました♡