こんにちは! ゆきですニコニコ

 

アニメ「アン・シャーリー」を最近はまとめ見しています。

今は3作目の「アンの愛情」をアニメとして見ており、第20話もあたる話が、わたしが本を読んでいて結構辛かった部分だなと思い出しました。

ギルバートはアンに出会ってからずっと、アンのことを気にかけていて、アンの赤毛をからかったことで、アンはすっかり意地を張ってしまって、ギルバートが謝罪しても許さないと言って、アンはずっとギルバートとは距離を取っていました。

沈みそうなボートに乗っていたアンをギルバートが助けたときも、ギルバートが「友だちになれないかな」と歩み寄っても、アンはつまらない意地で拒絶してしまって、それからもしばらく距離がありました。

マシューの死後、大学に進学するのを諦めて教師をやると決めたときに、ギルバートはアヴォンリーで教えることが決まっていたのに、アンがマリラと一緒に暮らしながら生活できるようにとアンにその座を譲ります。それを知ったアンがギルバートに感謝を伝えて、2人はようやく友だちとして仲を深めていくようになります。

ギルバートは細かいことによく気がつくし、アンはギルバートとは他愛もない話ができて居心地のよさを感じていました。けれど、時々ギルバートが友だちとは違う感情をアンに向けていることにアン自身気がついていて、ギルバートとはずっと仲の良い友だちでいたいと思っているアンからすると、ギルバートが自分に気持ちを伝えないでくれればずっと一緒にいられるのに…と思っているんです。

とうとうギルバートはアンに自分の気持ちを伝えるのですが、アンはその気持ちにこたえられないと伝えます。ギルバートからは「さようなら」と別れを告げられ、もう永遠にギルバートは自分と一緒にいてはくれないことにアンは気づき泣きます。

フィルが「ギルバートのいない世界を立て直すの?」と言われ、アンはハッとそのことに気がつくのです。

 

どうして男女の間になると(多くの場合ですが)、すぐに恋愛関係になることが期待されるのだろうか…

少なくともこの時点のアンは、ギルバートのことを異性としては愛していなくても、一人の人間として大好きだとわかっているんです。アンが理想の相手に望むことが「ザ・王子様」みたいな感じなので、どうしてもギルバートは理想とは違うから、異性として見られないのだとアンは思っていたわけですが…。

男とか女とか関係なく、好きだから一緒にいる、というのじゃダメなのかな~と思ったことを思い出しました。

アンは、「ギルバートのいない世界」は彩のないつまらない世界だということを初めて知ったようでした。

当たり前に近くにいるから気づけなかったのだろうけれど、それだけもう大事な存在になっていた人を、失ってからそうだったと初めて気づくのはとても辛いですよね。

当たり前ってありがたいことなんだと思います。

そこにいる(ある)ことが自然だということは、それだけ自分と合っているということなんだと。

 

「赤毛のアン」を読んだり見たりしていると、こういう何気ないことにも改めてハッと気づくことができて、しみじみと素敵な作品だなと思うのでした。

 

わたしは、このあと出てくる「王子様」よりも、断然ギルバートが好きです!

まっ、これも好みの問題か(笑)

 

今回はここまで。読んでいただきありがとうございました♡