こんにちは! ゆきです!
先週はお盆休みがあったので、仕事は3日間でしたが、今週から通常運転なので、少し長く感じたのは気のせいでしょうか。
残暑が身体に堪えるのか、なんとなく頭がぼーっとして、気持ちが悪いとまではいかないものの、胃は少しムカムカするし、少し気怠いし…で夏バテ気味です。それでも、去年の様に、頭がくらくらしてふらついて歩けない…という事態にはなっていないので、わたしの身体は悲鳴は上げていないのだということだけはわかりました。
どんなことでも、無理することなく過ごすことが大事ですね!
さて、今日も本ネタです。
今「限界国家」(楡周平、双葉文庫)を読んでいます。これを読んでいて、今教育業界に携わっている人たちはきっと大変ではないかと思ってしまいました。いろいろと思い出したことがありまして、まだこの本は読みかけなので本の感想は後日挙げるとしても…教育業界で働き始めてから疑問を持ったことに、おそらく今の子どもたちは直面しているのかなーと思ったんです。
わたしは、予備校や個別指導塾で通塾生の学習指導や進路指導をしていました。
進路指導の際に、会社から通塾生への進路ガイダンスとして説明会を行うのですが、就職活動で振り落とされないために出来る限り難関校を狙うことも指導の一つとして通塾生に説明したんですね。
しかし、わたし自身がこれに疑問を持っていまして、まるで”学力でその人の価値が判断できる”と言っているように聞こえてしまって、拒絶感が大きくなっていきました。新卒として就職活動をしてから10年以上経っているので、正直今がどのようなシステムで就職活動を行っているのかよくわかりませんが、学校歴を足切りとして使うことが学力至上主義に拍車をかけ、勉強(暗記)の得意な人が勉強の苦手な人を下に見たり、勉強の苦手な人が自信をなくしてしまったり、歪みが出てしまっているなと思っていました。そして、それを自身が助長しているように思えて嫌でした。そして、勉強ができることだけが価値のあることのようで、嫌でした。
目まぐるしく世の中が変わっている今、勉強さえできればいいという考え方では厳しいと個人的に思っています。
暗記は得意でも、自分で何かを考えることができないと、言われたことしかできない人間になってしまうのではないかと。それなら、ロボットと同じじゃないかと。
どんな時代であっても、他人軸ではなく、自分事として自分軸で生きていくことができれば、きっとどんなことに直面しても、自分の頭で考えて行動して切り抜けていけるのではないかと思うのです。
果たして教育はそのようなことを机上で教えることができるのだろうか?
もう、こればっかりは、生き様として見せていくしか、見てもらうことしかできないのではないか、と思うんです。
だから、ではないけれど、わたしは少なくとも自分が自分をカッコいいと思える生き方をしたいし、していくのです。
今は会社員として働いていますが、自分に誇りを持って、自分の頭で考えて行動するようにしています。
受動的に生きることは楽かもしれないけれど、わたしにとっては詰まらないんです。
せっかくなら、詰まる人生を作りたいので、能動的に過ごすようにしています。
自身の姿勢で生き方まで変えられる。
本を読んでいて、そういう生き方をしている人がいると、勇気づけられるし、カッコいいなと思います。
今回はここまで。読んでいただきありがとうございました♡