こんにちは! ゆきです!

 

今日は急な激しい雨が降り、夕方にはすっかり涼しくなり、秋めいてきたように思いました。

日中はバカみたいな暑さですが、夜にはすっかり夏の熱気がなくなって、去年よりも秋に向かっていく季節を感じられているなと思っています。去年は体調を崩してしまって、季節を感じることもままならなかったような。そう思うと、夏の暑さのせいで食欲が若干減退気味で絶好調とは言えないまでも、季節を感じられる余裕があるようで、個人的にはそれなりに夏を楽しめているような気がします。

 

わたしは読書が好きで、ここのところ「本」をテーマに記事を書くことが多いなと思うのですが、手元に置き続けたい本と手放してしまってもいい本の間には何があるのだろうと、ふと思いました。

これまでは再読したいかどうかをひとつの基準にしていましたが、再読するつもりがなくても手元に置いておきたい本をいくつか持っていることに気がついて、再読しなくても手元に置きたい本とそうでない本との違いは何だろうと、堂々巡りしそうですが、考えてみようと思ったんです。

再読するつもりがない、という言い方も適当ではないのですが、気軽に再読できる本ではなくても、わたしの好みにピタッと合致していて、もう一度読み返したい日が来るのではと思うくらいに気に入っている本が、再読するかわからなくても手元に残したい本です。

わたしの場合、三浦春馬さんの「日本製」、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」、モンゴメリの「赤毛のアン」シリーズがそういう本なんです。

読み始めたら面白いけれど、読むのに根気が必要で、読み終わるまでに時間がかかります。わたしは読書が好きですが、なかなかずっと同じ本を読み続けることがストレスになってしまうので、ちょっと読み避けしてしまうんです。「赤毛のアン」シリーズの「炉辺荘のアン」は購入したのに未だ読み始めてもいないのです。それは、書いた通りの理由のため。

だから、さくさく読める本と並行読みするなりして楽しみたいわけですが、夏が苦手なわたしは、若干疲れ気味なので、そういう本を読むだけのパワーが今は少し足りません。

そんなわけで、読みやすい本を読むことが多いです。

 

今だけでも、積読本が3冊あるからな…

今も2冊並行読みしているので、それらを読み終えたら、昨日届いた本を読み始めたいですし、2週間前に買った黄表紙について書かれた本も読みたいし、「炉辺荘のアン」も読みたい…だけど、定期で読みたくなる大好きな本たちが何冊もあって…という具合なんです。

好きな本は何度も何度も飽きずに読めるし、何度でもその本に会いたくて読んでしまいます。

大好きな本は、迷いなく手元に置いておこうと思えるので、引っ越先にも必ず持っていくのですが、もしかしたら読むかも…みたいな本が何冊もあるので、そういう本たちとよく向き合って、お別れするならお別れして、これからも一緒にいるなら一緒にいるようにしたいなと思います。

生きていると考え方や好みが変わって、以前は何度も読んでいた本を全く手に取らなくなってしまうこともあるし、その逆もあるわけで。生きているって面白いですね。

 

みなさんは、どんな思いで本を手元に置いたり手放したりしていますか?

コメントなどで教えてもらえると嬉しいです。

今回はここまで。

読んでいただきありがとうございました♡