こんにちは!ゆきです😊


突然ですが、性格の善し悪しって何だと思いますか🤔?

先月阿部智里さんの八咫烏シリーズを再読してから昨日くらいまで、頭の片隅ではありますが、ずっとそれについて考えていました。

阿部智里さんの八咫烏シリーズに出てくる北家の雪哉は作中で友人たちに「性格が悪い」と言われる人物なんですね。ただ、わたしは雪哉のことを性格が悪いと思ったことが一度もないんですてへぺろ

はて、どうしてわたしが雪哉の性格を悪いと思わなかったのかの理由をいくつか考えました。


①わたしも雪哉同様の性格をしていて、性格が悪いために、雪哉のことを性格が悪いと認識しなかった

②作中で雪哉は性格が悪いと言われるが、作中における価値観で判断すると雪哉の性格が悪いと判断されるだけで、わたしたちの世界の価値観に照らせばそんなことはない

③作者である阿部智里さんの価値観において、雪哉は性格が悪い人物だと思っている


と、3つくらい考えてみたのですが、わたしの中で腑に落ちたものはありませんでした。

②と③はまだしも、①については自分自身を貶めることになるので、到底受け入れがたいですし(笑)、そも、わたしは自分のことを性格が悪いとは思っていません。結構細かいことを気にするきらいはありますが、別に性格が悪いとは思いません。なんなら、結構大雑把なところは大雑把ですし(笑)


そして、昨日やっと腑に落ちる自分なりの答えが見つかりました!

きっと、性格の善し悪しなんてないんです。

ただ、自分の考え方や価値観に合うかどうか、それだけなんです。自分の考え方と合う人=性格がいい、なんてことはないのではないでしょうか。考え方や価値観が異なったとしても、理解し合うことが出来る人もいますし、考え方や価値観が近くても雰囲気などが合わない人もいますよね。

それを性格の「善し」「悪し」で分けてしまうなんて、ナンセンスだなと思ったわけです。

他人について、ただ自分に合うか合わないかなのに、「善し」「悪し」で勝手に判断するのはなんだかな~と思います。「合う」「合わない」でいいじゃない!



そんなわけで、雪哉の考え方や価値観は、わたしにとっては十分理解出来るものであるものの、時に残酷だなと思うこともあるので、合うかと言われたら、合わない部分もありますが、わたしは雪哉のことを分かりたいと思うんです。

雪哉自身、他人に性格が悪いと思われてもあまり気にしていないように見え、それは彼の中にある1本の核みたいなものがあるからでもあるし、わざわざ言葉にして理解されようと思っていないからでもあるのかなと思います。

茂丸が雪哉に「1人でおつかいをしているみたいだ」と言う場面があって、茂丸は雪哉のことをちゃんと見ていたから、雪哉と同じ立場目線で雪哉と共に何かを一緒にやる人がいないことを本能的に理解していたようでした。茂丸がそういう人だったからこそ、雪哉は孤独を抱えなくて済んだのだろうなと思うと共に、雪哉の最大の理解者が今はもういないことが悲しいなと思います。

話が八咫烏シリーズの方に逸れていきましたが(笑)、見る人によって見え方が変わってくることを茂丸が示してくれているように思います。

わたしにはやっぱり雪哉は性格が悪い奴だなんて思えないな。



赤毛のアンを読みながら、まだまだ八咫烏シリーズも並読していますので、また八咫烏シリーズについて考えがまとまったらこのシリーズについて思うことを書こうと思います。



今回はここまで。

読んでいただきありがとうございました💓