こんにちは!ゆきです😊


今回は「選択問題」について書きます。

今にして思えば、学生だったときから数年前まで「選択問題」について疑問を持って生きていませんでした。

例えば今夜のごはんは何を食べるのか。

例えば習い事をどうするか。

例えばテストの選択肢について。

例えば部活動の選び方。

例えば進学先や就職先の選び方について。

例えば投票について。

例えば友人を始めとする人間関係について。

挙げだしたらきりがないけれど、生きることは選択の連続です。

では、わたしはその選択をどうやってしてきたのだろうかと振り返ると、提示された(目の前にある)選択肢の中から選んでいました。

その中には本当にいいと思ったものだけではなく、まだましかなと思うもの、嫌だけどそうするしかないと思うもの、といろんな感情で選んできたものでした。


選択するときに、自分で考えたり自分の本心を聞かずに、目の前にある選択肢の中から選ぶように学校で訓練(苦笑)されてきたので、提示された選択肢の中から選ぶことに疑問を持たなくなっていました。


提示された選択肢の中から選ばなくていいのだと数年前に気づいてから、目の前にある選択肢の中から選びたいものがないときは選ばなかったり、自分で他に選択したいことやできることがないのか考えたりするように少しずつ変えていっています。

わたしは結構頭の固い人間だったので、「こうすべき」と自分の考えていることが正義だと思っていました。なので、自分と考え方が違う人間と会って、例え価値観が違うと思えたとしても、自分の方が正しいと帰着しがちでした。

でも今は、人の数だけ正しさがあり、ただ価値観が違うだけだと思えるようになってきました。

なので、周りと選ぶことが違ったとしても、自分の選ぶことが自分にとっては正解だと思っていますし、人が他人のことに干渉しなければ、それぞれ楽しく過ごせるのになと思うわけです。


権利はその最もたるものだとわたしは思っています。権利はしてもしなくても自分で選べることなのだから、自分がどうしたいかを大事にするだけでよくて、いちいち人にこうするべきだなんて、指図することは本来できないはずなんです。

するのも自由、しないのも自由。

正しさは人の数だけあるのだから、ただ価値観が違うだけなのだから。


もし、押しつけがましい人がいたら、そっと離れればいいとわたしは思っています。だってそういう人とは気持ちのいい関係を築くのは難しいですもん。好き嫌いではなくて、ただ合わないだけなので、離れている方が楽だと思うのです。


そうやって少しずつ自分の過ごしやすい環境をつくっていきたいなと思っています。


今回はここまで。

読んでいただきありがとうございました💓