こんにちは!ゆきです😊


ふと表現の自由について書きたくなったので、思うままに書こうと思います。

今の時世がらセンシティブかしら泣き笑い


表現の自由という言葉を知ったのは、おそらく中学生の頃だったと記憶しています。

言葉自体を知らなくても、その権利を享受し過ごしていたけれど、「表現の自由」がまだ存在する世の中に生きているのだと認識したのは、ここ数年のことです。

戦中は本や思想に規制がかかり、国の都合のいいことだけが流布していたと学校の授業で習ったので、それと比べると自分の生まれた時代は幸せだと中学生の時に思ったのです。

好きな本を読むことも好きな歌を歌い聴くことも、自分の考えを素直に表現することもできない時代ではなくてよかった…そう思ったような気がします。

戦前や戦中に生まれた人の中に、どれだけその体制に疑問を持っていた人がいるのかは正直わかりません。ただ、それが当たり前だったとしたら、疑問を持つことそれ自体が難しいように思います。

しかし、それが戦中あってもそうでなくても、国の理想とする思想を植え付けられていることに気がつかずに、それを自分で考えたことだと思って過ごすようにもしかしたら巧く誘導されているのかもしれません。


私は右に習えの人間ではないので、メディア作品について手放しの絶賛はまずしないです、と言うよりもできないんですよね。

自分なりにいいと思えば推しますしお薦めしますが、端から見たら斜めに見ているようなこともあるのだと思います。

映画やドラマを見てもしっくり来ないことが多く、自身の価値観と違ってもあまり気にしないのですが、捉え方がいろいろあってOKだよね~という世の中であることによかったなと思うのです。

これしかダメだといわれたら、何も言えなくなってしまったり、自分で考えることができなくなり、終いには上の覚えがめでたいような思考しかできなくなってしまうでしょう。


わたしが本を好きな理由は、非現実だからこそ(現実の出来事ではないと謳っているからこそ)表現ができることがあるからです。

本は時に驚くようなことを知らせてくれることもあります。今のうちに気になる本は片っ端から紙の本として読みたいですし、自身の表現をするための材料にしたいなと思います。


いつもは当たり障りのないことを書いていましたが、今日は少しだけセンシティブなことを書きました。今後もあまり書くことはないかもしれませんが、自由を持ったままのパラレルに移行する予定なので、きっと大丈夫😊


今回はここまで。

読んでいただきありがとうございましたおねがい