こんにちは! ゆきです
映画「インサイド・ヘッド2」を観てきました。
先月からずっと気になって観たいと思っていた映画でした。
これから映画を観る方は、この先はネタバレ含んで書くので、ご了承くださいね。
◆簡単なあらすじ◆
主人公は13歳の少女・ライリー。
ライリーたちの試合の様子を見ていたアイスホッケーの名門クラブのコーチから声がかかり、友人と共にキャンプ(合宿)に参加することに。
ライリーは友人たちと同じ高校に進学するつもりでいたが、友人は違う高校に行くのだと知り、ライリーはキャンプでホッケーチームに入らなければ高校生活を楽しめないかもしれないと思い、友人との関係がギスギスしてしまう。
そんな彼女の頭の中では、5つの感情、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカがいつも通りライリーの頭の中で感情表出をしていたが、「思春期ベル」が鳴り、シンパイ、ハズカシ、イイナー、ダリィの新しい感情が登場し、シンパイたちは新しいライリーにすべく、ヨロコビたちを追い出し、ライリーの感情を表出する役目を担うことに…
司令塔を追い出されたヨロコビたちは、ライリーを自分たちの知っているライリーに戻すべく、ライリーの核を取り戻そうと奔走するが、「新しいライリー」は「わたしはできない・・・」を繰り返す自信のない状態になってしまい・・・
◆感想◆
持ってはいけない感情は何一つない。
自分らしさを創るのは自分にとって都合のいい感情や出来事ではなく、自分の感情と出来事のすべてが自分を創っているのだということ。
この映画はこんなことを伝えたいのかな~と思いました。
ただ、個人的には持ってはいけない感情が一つもないことには同意しかないのですが…
自分らしさは、自分を肯定できて初めてまっさらなフラットな状態で見ることができるのではと思うのです。
それに、感情に振り回されて感情の奴隷になってしまっているように見えて、なんだかなと思いました。
人は(人だけでなく命あるものはすべて)変化するものなのに、ヨロコビたちは元のライリーにこだわって戻ってほしいと考えるのはエゴだよな~と。結局自分の好きな、言い方を選ばなければ、自分たちにとって都合のいい理想の「ライリー」が好きなわけです。
一方、シンパイたちは思春期だから出てくる感情だと映画では言われていますが、人と競争や比較をしたり今の社会システムにより、起きてもいないことを不安に思ったり、人を羨んだり(嫉妬したり)してしまうと思っているので、思春期だから出てくるしょうがない感情ではないと思うんです。
どんな自分も愛してほしいという製作陣の意気込みが、何だか伝わりづらいと思う作品でした。
だからか、96分がとても長かったです(体感では2時間超えでした)
自己肯定感を高めることや自己受容をライリー自身の手でやることができるのが、わたしが納得できる終わり方ですが、ライリーの感情たちがそれをやっています!という感じで、ライリーが主ではないのが気持ちが悪かったです。
そもそも、感情が頭の中でこんな風に動いているよ~というコンセプトの映画なので、そのあたりを期待するのもお門違いなのでしょうが、私たちは自分で自分を変えられる力を持っていると理解できている人がおそらく多くはないから、それを個人個人が自然に思えるといいのになと思いました。
それから、そもそもの話ですが、感情はどこで感じるものなのでしょうか?
わたしは本来は心だと思っており、頭で感じる感情は計算的(保守的)なものだと思います。
頭の中にわたしはいないのに、頭の中にわたしがいるかのように描くのも、1つの計算かなと思うし、その論理でいけば頭の中を開けば映画のような記憶の収納棚や庫があることになりますよね。
そのうち頭があればOK…みたいな感じになってしまうのでしょうかね
そんな偉そうなことを書きましたが、思春期は主にシンパイが心を占拠してました(苦笑)
今は自分の感情は自分でコントロールできますし、心配や羨望嫉妬はずいぶん減りました。
ライリーが自分で自分の感情をコントロールできるように(感情が主ではなくてね)描かれる日が来るといいなと思います
今回はここまで。
読んでいただきありがとうございました💓