こんにちは! ゆきです!

 

今回はジブリの新作映画「君たちはどう生きるか」の感想をあげます。

この作品は、情報があふれる現代で何も宣伝をしないことで話題になっている作品です。

インターネットやテレビがない時代の映画は、こんなワクワク感を感じながら人々は見ていたのかと思うと、少しうらやましい気がします照れ

パンフレットの発売が8月になってからという、制作スタッフの情報を出さない徹底さに感服です。

ですので、本記事を読んでいる方でネタバレが嫌だなという方は、作品を見終わった後にまたこの記事を読みに来ていただけると、わたしは嬉しい限りです。

ここからはネタバレを含みますので、ご注意くださいね注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直、この映画を見終わった後の感想は

「ん??んん??なんだ、これは」

というとても抽象的なものでした(笑)

 

読んでいる方も、意味が全然分からないな~と思っていると思います(笑)

なにせ、書いているわたしでさえ、まだ言語化がままならない状態なんです・・・

 

わたしは数年前に「君たちはどう生きるか」を読んでいたので、

映画にもなにかしらの形でコペル君が出てくると思っていました。

「なにかしら」と書いたのは、ジブリが素直に原作通り書くとは思っていなかったからです。

ハウルも戦争描写を足して描くというジブリのアイデアを書き入れたものだったので、

今回も何かしら違う視点で描くのではと思っていたのですが、予想の斜め上をいきましたびっくり

 

映画にはコペル君は出てきませんでした!

 

主人公は牧 真人(まひと)という少年。

映画冒頭から、「この少年は誰?コペル君はいないの?」と頭の中が少々パニックになりました(笑)

映画を見るときに、原作を読んでいると変な先入観を持ってしまうことがあるので、時にこのような情報は不要なのかもしれないと思いました…

 

コペル君が出ずに真人少年が物語の主人公としてどのように描かれるのか、映画を見ている時も見終わった後も考えていますが、宮崎監督はなぜこの作品に「君たちはどう生きるのか」とつけたのか、どうしてこのような筋書きにしたのか、それがとても気になるものの、どう言語化するのが自分の中で腹落ちするのか適当な言葉が出てきません。

 

「どう生きるのか」

 

これはわたしたち人間が、これからの世界をどう生きていきたいのかということを自分なりにそれぞれが考えてみたらどうかという宮崎監督からの問いかけではないのか、とわたしは今の時点でそう思っています。

この作品からには分かりやすいメッセージは何もありません。

従って、唯一無二の正解はなく、各自が考え導き出した答えが、「どう生きるのか」というスタンスや行動に繋がっていくということを伝えてくれているのかもしれません。

物語を見るときに、分かりやすさを重視してしまうことが割と多いような気がしますが、それは考えることを放棄することに繋がるのかもしれません。

この作品の様に、抽象さが際立っている作品は、自分の内面と向き合うきっかけを作ってくれることが多いと、わたしの過去の経験からは感じています。

 

戦争の真っ只中に母を亡くした真人少年は、母の妹と再婚した父と共に母の実家に疎開をするところから物語が始まります。

母の死を感情的に乗り越えられていない真人少年は、周りの大人が自分を気遣うのを感じながらも、なんとなく父にもなつこおばさん(母の妹)にも他の人にも心を閉じているように見えます。

そんな中で、真人少年はアオサギが自分の母親が生きているからこちらの世界へおいでという声を何度も聞きます。

また真人少年は、疎開先の学校になじめず、学校に行かなくていい口実を作るために、自分で自分の頭を殴り家で療養している時に、母が遺してくれた本「君たちはどう生きるか」を読む場面があります。具体的にどのようなことが本に書かれているのかを明示することはありませんでしたが、真人少年が心を打たれ、彼の中で何かが変わったことを鑑賞者に感じさせます。

そしてその直後に、なつこおばさんが「そちらの世界」へ行ってしまったことを知り、連れ戻すためにアオサギについていき、物語が動き始めます。

 

人がちょっとしたきっかけで自分の行動や価値観を変え(られ)ることを物語で目の当たりにしました。

真人少年の場合は、母が遺した「君たちはどう生きるか」であるのでしょう。

きっかけは何であってもいい、ただ、自分がどうしたいのかを真正面から考えて生きていける核のようなものがあると、自分の現実を自分で動かしていけることを伝えたかったのかもしれません。

 

余談ですが(笑)、アオサギはおじさんみたいな風貌をした顔を持っており、終始不気味な存在に思えて仕方がなかったのですが(笑)、真人少年と一緒に行動をするようになるうちに、2人の間に友情のようなものが芽生え、アオサギさえも可愛く見えてしまいました(笑) 

当初、アオサギを敵だと認識していた真人少年が、行動を共にするうちに友人だと思うようになる。敵も味方も本来はなく、自分が相手をどう思うか次第で関係性が変わってくるんだなと2人の関係を見ていて感じました。

 

とりとめのない感想ですが、とりあえず言語化出来たところまでで一旦投稿をします😊

ここまで読んでいただきありがとうございました😊

またもう少し表現が何かしら出来そうだったら、更新なりしようと思います✨