こんにちは!ゆきです😄

今回は、祖母のお通夜と葬儀で感じたことを書きます。仏教を信仰している方には不快に思うこともあるかもしれませんが、宗教を必要としないわたしが感じたことを素直に書こうと思います。


①いつから敬虔な仏教徒になったの?

これは子どもの頃からなんとなく思っていたことですが、普段からお経を読んだり線香をあげたりするわけでもないのに、身体を脱いだらお坊さんに戒名をつけられ仏になる、というこの一連の流れに違和感を感じていました。普段から敬虔な仏教徒であれば、何も違和感は感じないのですが、なぜ?と思ってしまう…泣き笑い「そういうものだから」で片付ける人が多いかもしれませんが、わたしには不思議でなりません。

わたしは宗教を必要としないので、自分の戒名も葬式もお墓も要らないと思っています。自分の家が仏教式だから自分も…というのはなんとなくおかしいと思って育ってきたので、人は人、自分は自分でいいじゃんと思っています。


②勝手に善悪で評価されたくない

お通夜のなかで「懺悔文」的なお経をお坊さんが読みました。なんでも「生きている間に故人が悪いことをしたことを懺悔します」とお坊さんが言うんですよ~(苦笑)生き様をずっと見てきた上で言っているのだとしても、他人様に自分のやってきたことを勝手に「善悪」で評価されるのはおかしくないでしょうか?そして、悪いことをした前提で話が進んでいくことに違和感を感じました。

仏は絶対的な善の存在であり、その仏の弟子になるためには常世での「悪い」行いを懺悔するのでよろしく頼むよ~、という感じらしいんです🤷

物事を判断(評価)するものさしが、自分のなかではなく、他者にあるということを示していますね。自分軸ではなく、他人軸で生きることを勧めているようにさえわたしには感じられました。


③お経は呪文みたいで苦しい

お経をお坊さんが読んでいる際、刺激性の強い線香が焚かれていたこともあり、息をするのが苦しくなり、気持ちも悪くなり、お経が呪文のように聞こえました。生きているわたしがありがたみ(仏教徒ではないのでありがたみは感じませんが)を感じずに苦しさを感じるのだから、故人がこの儀式をどう見ていたのかとても気になりました。

よくわからないお経独特の抑揚のないリズムが呪文ぽさを増強し、モクモク線香の煙が充満していく様は苦しさを増強し、本当にきつかったです😭

半分くらい冗談ですが、死ぬかと思った~


④骨には何も感じない

火葬する前のご遺体には、まだ故人をなんとなく感じたのですが、火葬し骨だけになると、それがもはや祖母なのか、何も感じなかったのです。

その骨が仮に祖母のものでないとしても、きっと気がつかないくらい。

それから余談ですが、火葬する前に最期に体に触れてくださいと葬儀屋から言われましたが、生前から祖母にそんなに触れることもなかったのに、身体を脱いでから触ることに違和感があったので、布越しに足を優しくさすりました。他の親族はガシガシ足や腕を触ったり、顔に触れたりしていましたが、身体を脱いでいるとはいえ、生卵の黄身に触るくらいの優しさで触れてほしいなと個人的に思いました。自分が思っているよりも相手には強く感じますからね😅


⑤煙が食事?むせるわ~😭

仏教では、線香の香り(煙)が故人の食事らしいです。※インターネットで適当に調べた時に載ってました😅

わたしは線香の匂いが苦手で苦しくなるので、むせそうになるのですが、果たして故人は線香の匂いを食べたいのでしょうか?身体を脱いだら価値観が変わるとはいえ、煙は美味しくないから食べたくないな~と個人的には思います。

香の匂いが食事らしいですが、葬儀のあとは食器に食べ物をよそって供えてほしいと葬儀屋から言われたらしく、親は毎日そうしています。

線香の匂いを食べるんじゃなかったのかしら?

わたしのなかでまた「?」が浮かんできました。


よくわからないことが多いですが、疑問を持たなければスルーして過ごせるのかもしれませんね😅

わたしはそれが出来ないので、こんなことを思ったのでした(苦笑)


今回はここまで❗

読んでいただきありがとうございました😊