こんにちは!
今日はどんな1日でしたか?
多くの人はGWを満喫しているのかもしれませんが、わたしは長いお休みがないので(笑)、少し気持ち的に疲れを感じます(笑)わたしも休みたい~😄
今日はわたしが村上春樹さんの書く本が好きな理由について書きます。
わたしが初めて彼の文章を読んだのは18歳の時でした。
それは大学入学試験で、「壁と卵」でした。
それを読んで心を動かされたことを今でも覚えています。
さて、わたしが村上春樹さんの文章が好きな理由は、物語の語り手が常にそこらへんにいそうな人であるからだと思います。
小説の中には、主人公が類まれなる才能や境遇にあること(最終的なことも含めて)が多いように思います。初めは「平凡」ふうであっても、だんだん他とは違う「特別な人」「特別な立場」に変わり、そこらへんにいる人ではなくなるのです。
わたしは村上春樹さんの本をすべて読んだわけではないので、そうだと言いきれませんが、彼の作品の主人公は、一人称が「ぼく」や「わたし」の男性で、内向的で、どこかなよっとしている、いい意味で親近感を持てる存在です。親近感という言葉よりもっと適当な言葉が見つかればいいのですが、とりあえず親近感ということにしておきましょう。主人公には飾り気がなく、自分語りが多めな傾向ではあるけれど、存在に特別感は感じられない(特別に憧れるところはあるけれど)。
彼は「壁と卵」のスピーチで、壁(システム)側ではなく卵(一個人)の視点から物語を書くのだと言っています。システム側から書かれる物語が増えてしまったら、わたしたち一人一人は自由にのびのび生きることはきっと難しいのではないか。そんなことを初めて読んだ時に感じたような気がします。だから、村上春樹さんのスタンスを好きだと思いました。その時はまだ作品を読んだことはなかったけれど、システムに媚びず、一個人としての思想や尊厳を大事に描いている、そう思ったのです。
結局、ヒーローや特別な才能や能力を持っている人たちが脚光を浴びる物語は、物語としては退屈しないし面白いものかもしれません。だけど、同時に、そのような「特別ななにか」で自身がありえないと、現実はどうにもならないという無力感を感じたり、セルフイメージが下がったりするのではないのかと思うのです。
彼は「特別ななにか」を持った存在を主人公として描いているわけではないのは、一人一人の人間に真正面から向き合っているようにさえわたしには思えるのです。
いま、彼の作品を新たに読んでいます。
読み終えたら、今日このように書いたことを裏返すかもしれません。だけど、いまわたしはこう思っている、ということをなんとなく書いておきたくて書きました。
思いを適当な言葉で伝えることは簡単ではないけれど、少しでもわたしの感じていることがあなたにも伝わったら、わたしはうれしいです😊
ここまで読んでいただきありがとうございました😊