こんにちは!ゆきですウインク
△社会は刺激が多いと前回の記事で書きまして、
△社会にあまり焦点を当ててないので、
わたしはそのような現実を見ることは以前よりも減りましたが、
少しね、思うことがあったので、記事を書くことにしました。
前置きとして、誰かにわたしの考えを押し付ける氣持ちは全くなく、あくまでも「わたしはこう思っている」ということを書いています。

まずね、わがままってわたしはすてきな言葉だと思ってるんです。
文字の通り、自分のまま、ってことだから。

それが△社会(今の社会)の中では、周りのことを考えない自己中心的な人、だと解釈されています。
わたしとは価値観が違うのだから、
そういう考え方もあるよねとは思うのですが…
自分の人生は自分が主役なのに、
何で自分よりも他人のことを何よりも優先して考えなきゃいけないの?と思うんです。
わたしの価値観では、
自分の考えは圧し殺して周りに合わせなさいという△社会の考え方は合いません。
結局、それは我慢の押し付け合いでしかなく、
課題の分離が出来てないゆえのものではないかとわたしは思うからです。
価値観が違うだけなので、わたしはやりたくないことに対してただやらなければいいだけだと思うのです。そして、わたしはやりたくないですと伝えるようにしていますニヤリ
それがね、我慢している人からすると自分勝手でわがままに見えるみたい(笑)
そんなに我慢してるなら、我慢を相手にも強いるんじゃなくて、あなたもやめればいいじゃん!とわたしは思うんです。
わたしは相手の意思を尊重したいので、強要はしません。ただ強要してくる相手には、わたしが疑問に思うことは聞きますけどね😊

誰もやりたくないことなら、それはきっとやらなくてもいいことだし、誰かがやりたくないことでもやりたいと思う人がいるなら、やりたい人がやればいい。
「誰かがやらなければ成り立たない」
と小さな頃から刷り込まれ続けてきたわたしたちには、
誰もやりたがらないことをやめてしまっても
世の中は問題なく回ることを想像することが
容易ではないのかもしれません。
わたしも以前はそうでした。
わたしは、やりたくないことをやっている自分に嫌気がさしたこともあるし、そういう自分がやることに「やりたくないエネルギー」が乗っていたことを感じたことが多々あるので、今は以前よりもわかるようになっています。
そういう刷り込みを外せるようになってきたんです。
だから、誰もやりたがらないことを思いきってやめたり、
やりたい人だけがやるようになったら、
今よりもスッとしたエネルギーで満たされるんじゃないかな~なんて思うんです。

わたしはこれからもわがままに生きていきます。
自分を抑圧して生きていた時は、自分の感情が何も出てこなくなるくらい、死んだ魚の目をした人間でした(苦笑)
自分のことは二の次で周りのことを気にしてばかりのわたしは、ほんとに自分に優しくない人間でした。
自分なんて…ってわりと常に思っていたので、わたしがわたしを大事に出来ていませんでした。
その時って何をしても楽しくないし、感情も出てこなくなるし、のっぺらぼうみたいな感じで、私自身がわたしの敵みたいな感じになってしまって…とにかく辛かったですねえーん
我慢していればいつか報われるんじゃないか、
そんなことを思っていたのかもしれません。
その時のことは今のわたしにはもう必要ないことなので、あまり覚えていませんが、
もう周りなんてどうでもいいや~、
と思考を振りきることが出来るようになってから、
わたしはわたしを生きられるようになったのかなと思います。
誰かの期待や押し付けに応える必要なんてない。
周りのことばかり考えて生きていたら、ずっと他人軸で生きていくことになる。
わたしの人生の主人公はわたしなのだから、
ただわたしがわがまま=自分のままであるだけでいいじゃん、と思っています。
誰かにとっての「良い子」であっても、自分の好きなように生きていても、わたしと合う人も合わない人もいるのだから、せっかくなら楽しく生きていたい❗
だから、わたしはわがまま(我がまま)にいるだけ✨

今回は少し長めでしたが、読んでいただきありがとうございました💓
あなたの考えもよかったらコメントで教えてくださいね😉