こんにちは!ゆきです😊

わたしは韓国ドラマの「トッケビ」が結構好きでした。ここ1年程見ていないので今見たらどれだけ好きなのか分かりませんが、今のわたしだから思うことを書きます。


「トッケビ」には宗教観がバッチリ描写されています。好きで見ていた時は「へぇ~韓国ではそうなんだ。輪廻転生で今何回目の魂なんだろう。」と思うこともありました。「トッケビ」では1つの魂は4回まで地球に生まれるらしく、1回目は種蒔きの回なので、言葉を選ばずに言うと、あまり楽しくない「禄でもない」人生らしいですガーン

2回目は種に水をやる人生、言ってみたら「とにかくがんばる」人生。1回目にあまり種を蒔かなかったら水をやるところもないですし、他に興味を持っても種がないので育たないのかしら…

3回目は収穫する人生、1回目と2回目の人生でちゃんと種を蒔いて育てたら収穫が出来るので、比較的楽しい人生ではないでしょうか。

そして、最後の4回目は収穫したものを食べる人生、いわゆるご褒美の人生です。

このお話では主人公は1回目の魂であるために結構大変な目に遭っているんですね…ただそれも1度目だから…種蒔きだから…2回目以降のための試練であり我慢だ…みたいな感じに思えてならないんです。宗教では現世では辛いことがあっても来世のために徳を積みましょうという教えがあるようです。個人的には我慢を強いられるのは嫌です魂が抜けるそして、来世や過去生はなく、今だけがわたしの個性エネルギーが生きている世界なのだからと思うようになると、もともとわたしは無宗教ですが(笑)、途端にこの宗教観を手放せました~👍

仏教の教義が頭の片隅に少しだけいたみたいなんです(笑)来世のために今を我慢するなんてナンセンスだよ~と今は殊更に思っているので、今のわたしは我慢しない方向で現実創造する練習をしています😊

「今の人生は来世のための種蒔きだから辛くても我慢する…」と思いたい人を否定するわけではなく、そう思いたい人はそう思うんですねとわたしは思うだけ。ただ、今のこの時を楽しむことが出来れば、間違いなく自分の1度限りの人生を楽しみきることが出来るのではないでしょうか。今の人生が楽しくないのを何かのせいにしても現実は何も変わらない。その現実を創ったのは間違いなく自分自身(の思考の癖)であるのだから、他責する限りは何も変わらない。言い訳するにはいいかもしれませんが、言い訳しても何も変わらないので、わたしは言い訳せずに自分の好きな現実を創ればいいかなと思いました。

他にも思ったことはあった氣がしますが、一度これであげておきます😌


ここまで読んでいただきありがとうございました✨