こんにちは!ゆきです😄
2ヵ月くらい前に「キングダム」を観たので、今更ですが覚えている範囲で感想を書きます🎵
こちらの作品も漫画原作でアニメ化もされており、数年前にキングダム1が山﨑賢人さん主演で実写化されました。キングダム1では、長澤まさみさん演じる楊端和が美しすぎると話題になっていましたが、私は昨年の地上波放映で初めて見ました。確かに長澤まさみさん綺麗ですもんね~✨
なので、何となく流れは理解しているという状態で2を見ました。
【感想】(あらすじ込みで書きます!)
★哀しみの一族について
羌かい(きょうかい)は哀しみの一族の生まれ。この一族は戦いのために日々鍛練し並外れた強さを持っているが、一族間で最後の一人になるまで生き残りをかけた殺し合いをする、というもの。羌かいにとって姉のような存在の象(便宜上、姉と記載しますね)がおり、姉は羌かいに生き延びてほしいと、決戦の日(生き残る一人を決める戦い)の前に薬を密かに飲ませ、決戦に参加させないようにした。目が覚めた羌かいは、姉が自分にしたことに気付き、姉が生き残っていることを期待して決戦場に向かうが、姉の首が転がっており、羌かいを大きな哀しみが覆う。姉はとても強かったので、他の一族が協力して寄って集ってで姉を集中攻撃し殺したことが羌かいには分かった。そして、生き残ったものへの復讐の念で、羌かいは魏を攻めることに決める。
羌かいは信に、哀しい目をしていると言われます。羌かいの境遇を知ると、納得なわけですが、戦など相手を傷付けることは、復讐や哀しみといった重たい気持ちを生むだけで、しあわせな気持ちになる人はあまりいないのではと私は思っています。人によって価値観が違うので、何とも言えないですが…ただ少なくとも、調和や愛・尊重といったポカポカした気持ちとは程遠い感情を生み出すのではと思うのです。
古代中国の秦国が中華統一する頃が「キングダム」の描かれている時代ですが、いつの時代であっても戦の絶えない時代では、このような哀しみや復讐が繰り返し生み出され続いていたのではないでしょうか。世界どこと言わず、様々なところで・・・。
歴史は繰り返される、なのに人はそこから何も学んでいないのではないだろうか…思わずそんなことを思ってしまいました。
私は物語の登場人物を非難しているのではありません。ただの年号や出来事の暗記を強いる学校教育では、事の本質を知って理解し、自分の知恵にすることは難しいのではないでしょうか。
話は少し脱線しますが、私は日本史は明治維新頃(幕末)から、世界史はフランス革命あたりから、歴史の流れが繋がらなくなり(笑)、学校の授業内容をとりあえず覚えるだけみたいな感じでした。情報量が多いだけで、どうしてそういうことが起きるのかが全然頭の中で繋がらず、感覚的になんか変だな~とずっと思っていました。学校で習う歴史は、入試のための歴史感が強いため、歴史を学びそこから得た情報を以って、これからにどう生かすかになんて繋がりにくいのです。
秦の時代は中華の戦国時代と言われるだけあり、なかなか生きていくのに厳しい時代だっただろうと思います。
そして、そんな時代と特殊な環境で生まれ羌廆は、人一倍哀しみにあふれた瞳を持っていました。
そんな彼女が信や信たち仲間に出会って少しずつ変わっていく様子を見て、うれしい気持ちになりました。
★生きるも死ぬも上長次第、そんな△社会嫌だわ…
信たち庶民は戦があると前線に駆り出されます。
※いつの時代も、戦があると真っ先に庶民が先頭に立たされますね…。
戦では五人ひとチーム編成(五伍)で戦いますが、それらたくさんの五伍を束ねるのが今回「千人将」と呼ばれる人たちでした。
その千人将が戦場で信たちに直接指示を出す上長で、信たちの上長は縛虎申(ばくこしん)でした。
結構いかれた人らしく、命知らずの猪突猛進型の人で、彼が上長だと知った庶民たちは少し落胆している様子に見えました。
彼が上長ということは、庶民にとって自らの死を覚悟していかなければならない可能性が高いからのようです…
生きるも死ぬも、自分で決めたいと私は思っているので、そもそも戦には行く気はありませんが、どの部隊に所属するかで自身の生死を決められてしまう社会は心底嫌だなと思いました。
とは言え、信は負けん気が強く、大将軍になりたいと思っているので、上長がだれかで左右されるような人間ではないんです。なので、信には実質誰が上長かなんてあまり関係ないんです。なので、上の文は私がいち庶民だったら…で書きました。
信と同じように「やってやるぜ!」みたいに思って行動できれば、自分の運命は自分で切り拓いていけるのですが、この時代の社会もがちがちの身分社会の△社会です。なので、庶民の思考も「戦に駆り出されたら…上が言ったら…嫌でも自分たちは従うしかない」という感じです。庶民一人ひとりが自分の人生のハンドルを握っていない状態ということです。自分の人生のハンドルは自分が握っていたいのにな~と思う私です。
ちなみに、縛虎申のことをネガティブな感じで紹介してしまいましたが、映画を見ると、結構芯の通った魅力的な人として描かれています。彼は私にとって、映画の初登場時と終わりとでの印象が随分変わった登場人物でした。猪突猛進キャラではありますが、感情だけではなく冷静に戦況を見て動ける人でした。
★直感 対 頭脳
今回のクライマックの一つは、両軍の総大将が激突するシーン。
直感の麃公(秦)と頭脳戦の呉慶(魏)が一対一で戦闘するのですが、私は頭より感覚派なので、麃公が勝つんだろうなと感覚的に思っていました。
※中国史に詳しい方は麃公が勝つことを知っているでしょう。
感覚派の人たちは、感覚で今自分が乗り越えられるかどうか分かるからです。言葉で上手く伝えられないのがもどかしいですが、知略の人間が感覚(野性の勘)を急に使うことは難しいし、普段から感覚で渡り歩いている人間との「感覚で判断する経験値」が圧倒的に違います。どうしたら勝てるのかを考える知略派と、どのタイミングで行くか(勝負に出るか)を感覚でキャッチする直感派とでは、このシーンでは明らかに知略派の歩が悪いです。直感派の土俵では知略派は敵わないです。
さて、あえてこの直感と頭脳を取り上げた理由についてですが、今の世の中では論理的に物事を考えたり行動したりする人を「出来る人」「まともな人」「賢い人」と捉える傾向が強いのではないでしょうか。なので、感覚的に考えたり行動したりする人は軽視されたりバカにされたりすることもあります。私は表現として論理的に話したり行動したりするのがあまり得意ではないですし、単に「嫌だから」とか「なんか面白そう」みたいな感覚で物事を判断することがそれなりに多いです。感覚的に「今軽視されたな」と感じることも何度かあったような気もします。どちらが優れているかという話をしたいのではなく、人には向き不向きがあるだけで、どちらも単なる個性であると思うんです。
例えばこれまでの就業経験について話してくださいと面接で聞かれても、私の就業経験には「客観的」な一貫性は一切ないのです単に興味の対象が変わったり増えたりしただけなんです。それから、私は昔から割と直感が鋭いので、人と合うかどうかを初対面でおおよそ分かるんです。なので、合わなそうな人とは積極的には関わらずに過ごすようにしてきましたし、合う人と交際するようにしてきました。私が合わないと思った人と仲良くなった経験は1度もありませんし
、気の合う人としか過ごさないので、あまりプライベートではストレスを感じないんです。その人の発する雰囲気で、自分と合うかどうかが分かるんです
これは論理的に説明することは難しいことですが、感覚で判断する経験をしたことがある場合には、頷けることではないでしょうか。
思い切り話が脱線しましたが、要は感覚はあながち侮れないものだよ、と私は伝えたいのです❗
★王騎「戦は2人の将軍が作っているんですよ」
この台詞を聞いたときに、現実もそうだよねと思ったんです。それぞれの将軍がそれぞれの思惑を持ち、そのシナリオを現実として実現するために、戦をしているんです。△社会では、一部の人間(支配者)が自分達にとって都合のよい世や仕組みを作るために、大多数の人間(多くは庶民)が自分達に従うようにして、時に戦に駆り出したり、年貢を納めさせたり(今なら税金)、そんなことをしています。庶民の多くは目の前のことで精一杯で、何が起きているのかを把握している人はあまり多くありません。だから、一部の人間に都合のいいように利用されます。その例を分かりやすく見せてもらったように思いました。
戦争や戦は偶発的に起きるものではなく、意図的に作られるものだということ
自分の人生のハンドルは自分で握れということ
頭だけではなく、直感で動くこと
生きていれば、自分が強く思えば、これからを変えられること
キングダムは今を生き抜くためのヒントを私に投げかけてくれているのかもしれない、そんなことを考えながら、キングダム2を思い出し感想を書きました。
今回はこれで終わり!読んでいただきありがとうございました🎵
キングダムを観た感想、コメントに残してもらえると嬉しいです!