こんにちは、ゆきです!
今回は昨年公開の映画「竜とそばかすの姫」の感想です
昨年映画館に映画を見に行った時と、それからしばらく経ってから思い返した時とで、この映画の捉え方が変わりました。
なので、先日Amazon.Prime で配信されていたのを改めてちゃんと見たので、その時の感想と昨年初見の時との比較を記していきます。
ネタバレ込みで書いているので、気にする場合には、ここでそっと閉じてくださいね。
【昨年の感想】
・主人公の歌はとても素敵だった。歌手を起用しているだけあり、本格的だった。
・「現実ではやり直せないけれど、Uの空間ではやり直せる」という冒頭の言葉が引っかかった。仮想空間が逃げの場所のように思えて、腑に落ちなかった。
・美女と野獣をオマージュしていることもあり、美女と野獣の細田監督版を見ている感じで、新鮮さは薄かった。
・話がご都合主義的展開で、現実感がない気がする。
特に終盤、鈴が一人で「リュウ」を探しに東京に行く場面では、大人も一緒に行く方が現実的ではないかと思った。
子どもだけで何が出来るのだろう…映画だからというご都合主義に思えてしまった。
【最近改めて見たときの感想】
・主人公・鈴の歌は変わらずステキだった。歌のメッセージやエネルギーも優しい。
・思考は行動して現実になるという例を示してくれている。
※ちなみにゲームの世界は思考したら現実になる世界じゃないかな。ハンバーガー食べたい!と思ったら出てくる、みたいな。
鈴は母の死をきっかけに周囲に心を閉ざし、自分の殻に閉じこもり、自分は何も出来ないと思っていたけれど、「U」の中で自己表現(歌うこと)をしたり、リュウと出会いリュウに興味を持ったりする中で、鈴の内からエネルギーが湧いてくる。
リュウと触れ合っていく中で、リュウはどうも誰かから虐待を受けていることを知る。
リュウを助けたいという気持ちが鈴を突き動かし、Uの世界の中だけでなく、現実世界でも鈴は自分の気持ちに素直になって行動(高知から一人で東京まで行く)していく。
その結果、リュウである恵(けい)に会いに行って、鈴は恵の父親(恵たちを虐待していた張本人)に毅然とした態度で接する。その鈴の様子にド肝を抜かれた父親は腰を抜かして逃げていく。鈴の言動を見た恵は、自分もこれから闘う(頑張る)と言う世界線を作ることができる。
自分が何を選択するかで、経験する現実が変わってくる。もしも鈴が恵に会いに行かなかったら、鈴は自分自身が変わることが出来ることを知らないままだっただろうし、恵くんに信じてもらえず他の口先だけの人たちと一緒になっていただろう。
「私」が変われば、周りも変わってくる。どんな方向にだって、自分が舵取りすれば行けるんだってことを鈴は示してくれた。
それから、鈴が恵くんのお父さんに対峙するシーンについて。鈴が恵くんパパに対してエネルギーを引かなかったから、鈴には干渉できない(コントロール下におけない)と恵くんパパが思い、いなくなったのだと私は見て思った。ただ、ここで鈴が出したエネルギーが「対立」ではなく、毅然と当たり前にそこにいる、というものに見えた。対立だったら、きっと鈴は負けていただろう。力ではきっと勝てない。だけど、同じ土俵に上がらず、「私はこうしますよ」と鈴が意思表明を態度でしたから、鈴は恵くんたちを助けられたのだと私は思う。私はこのシーンがとても好きだ。
そして、恵くんは鈴に抱きしめられたときに、Uの世界でも同じように抱きしめてくれた手の感触を覚えていた。その時に自分は一人じゃないと分かり、鈴からの愛を受け取ることで、自分自身も変わろうと思えた。物語の終盤では、恵くんのその後については描かれていないが、きっと恵くんも鈴の様に毅然とした態度で行動して現実を変えていけたのだろうと私は信じている。
・Uの世界への登録作業はこれからのことを想起させてゾッとした。
Uの世界に自分のアバターを作るときに、自分の生体情報を機械に読み込ませるのだが、スマホとイヤフォンでそれができるくらいにテクノロジーが進んでいることにもゾッとしたし、自分の生体情報を読み込ませてしまうので、自分の遺伝子情報や思考なども、悪いように使われる可能性もあるのでは…と考えてしまった。
Uの世界では、五感(制御下にある)も現実と同じように感じられる上に、現実とは全く違う姿をしているので、のびのびしている人も多く、Uの世界に入り浸っている人がとても多い印象を受けた。なので、そのうち現実で生きることをやめる人が出てきてもおかしくなさそうだなと思った。
ちなみにUの世界では、現実世界の自分の特徴や潜在的な能力を表出したものが自分のアバターになるよう。鈴はそばかすと歌の才能を表出したアバターだった。
鈴は主人公補正(?のように私には思えた)でとてもキラキラした見た目のアバターだったのも少し気になった。おもちゃみたいな見た目のアバターや妖怪みたいな見た目のアバターもいたので、個人的にはちょっとな…と思うところもあった。
エンタメは割と外見至上主義なところが大きい気がしており、物語の主人公はどうしても目立つ何かを持っている傾向にあるのではないか。そもそも主人公補正なんて言葉自体、どうかしているのかも。どうして「平凡」な主人公があまりいないのかしら…。私は平凡って素敵だと思うんだけどな。何か(見た目・才能など)を持っている「風」でないと、主人公にはなれない?否、誰もがみんなステキな個性を持っていて、それに優劣はないはず…。ちょっと気にしすぎかな…。主人公に限らず、みんなが主人公!みたいな輝きを放つ姿を見たかったな。
この作品の場合は、現実世界の鈴はごくありふれた女子高生なので、親近感はとってもある!アバター世界くらい、自分の憧れる外見になりたい!という願いの表出なのかしら。
とは言え、アバターの見た目をそれでOKするかどうかを決めるのは結局本人なのだが…
・リュウ/竜(ドラゴン)=Uの世界での「悪」として描く意味
西洋では竜(ドラゴン)というと悪いイメージ(魔法使いの敵とか)があるが、東洋では竜ではなく龍と書くし、「悪」のイメージはそもそもあまりなくて、どちらかというといいイメージを持っているのではないか。
お寺の天井には龍が描かれている(火災除け)し、ドラゴンボールでは龍は悪者として描かれていない。
竜=悪の刷り込みをしているのかと思った。
ま、映画界そのものをレプちゃんたちがコントロールしているので、そうだよね~と思いながら見ていた。
※龍はムーの民と仲良くしていた宇宙種族・ドラコニアンを連想させるものらしい。ドラコニアンは軽い波動(愛・調和)を好む。レプティリアンも宇宙種族の1つで、見た目は爬虫類みたいな感じ。重い波動(辛い・悲しいなどの感情や争い)を好む。アトランティスを作ったのがこのレプちゃんたち。
・音楽をテーマにしている「竜とそばかすの姫」と「ONE PIECE FILM RED」両作品の音楽のエネルギーの違い
前者の音楽には中毒性はあまりないし、気持ちを引っ張られることもあまりない。全体を優しいものが覆っている。鈴がUの世界に人を閉じ込めるなどの意志は一切なく、自分の気持ちを表すものとして歌っていただけ。
対して後者は中毒性が強く、引っ張る力を感じる。キャッチャーなメロディラインの「新時代」、ロック調な「逆光」、ディスコ風の「ウタカタララバイ」のそれぞれの歌詞を読んでみればよく分かる。ウタは自分の創る世界に人々を引っ張っていこうとしているのだから。
※曲の雰囲気は私が感じた曲調を書いているので、人によって受け取り方が違うかも。
・鈴がリュウを探すためにUで歌っている時に、鈴から出た金色の光(エネルギー)は愛ではないか
鈴がUでリュウを想って歌っている姿を見て心を動かされたUにいるたくさんのアバターたちは、鈴に共振して、鈴と同じ金色のエネルギーを出す。あの画を見ると、心が温かくなるような気がする。心からの願いや気持ちは人の心を動かすということだろうか。
感想は以上です(笑)
つらつら思いついたことを書いたので、??と思う場合もあるかもしれませんが、
こういうエンタメは人によって感じ方や捉え方が違ってOKだから面白いんですよね。
みなさんの「竜とそばかすの姫」を見て感じたことをコメント欄に共有してもらえると嬉しいです!!