Aer you hungry ? | 湯の町キッチンバカ女将のたわ言

湯の町キッチンバカ女将のたわ言

鹿児島の自然と温泉豊かな湯之元。
この小さな町の小さなお店で
今日も元気に美味しいおかずと
おバカな世間話でご来店お待ちしてます!

最近、何かに突き動かされるように


ゴニョゴニョ チョコチョコ動き回って
いるバカ女将ですニヒヒ


さて、我が町の、我がファミリーの店
みやうちデパートが閉店して1週間…


ひと気の無くなった建物は、一気にその命というか
光を失ってしまうのだな…と…

ひっそり気配を消すかの如く、姿を消す日を
ただ待つだけに佇む建物を眺めるだけの私
無力でしか無い…

最後の日を地元のテレビ局、MBCさんが特集
してくださいました

その時の様子はこちらから👇

閉店、廃業するという事は、経営者としてとても
悔しくて悲しくて無念でならない事だけど…

大半の店、事業所が、ひっそりと消えていく
この世の中

創業66年、ひたすらに地元、地域密着を誓い、
町の中心として踏ん張っていた歴史を
ひとつの短編ドキュメントドラマのように
撮って下さって…取りあげて下さって

きっと天国からその姿を見続けていた創業者の
じぃとばぁも…悔しかっただろうけれど

終わり良ければ全て良し❗️

…ちょっとは喜んでいるかな?笑い泣き


今日は、みやうちデパートの話の締めくくり
として…

バカ女将のルーツでもある創業者
じぃとばぁの話をしましょうか




今でこそ、地元、地域密着!とうたっていた
みやうちデパートですが

実は2人とも湯之元とは縁もゆかりもない
人間なんでした

じぃはまだちょっと近くの町の出身では
あるけれど、ばぁは桜島に近い遠く離れた
町の出身

そんな2人が若い頃…
それぞれ仕事を求め中国の満洲に移り

たまたま勤め先が同じビルで
そこで知り合い、恋に落ちて結婚

結婚に至る話も、それはそれでデレデレほほぉ💕と
面白い話なんですが、それはちょっと置いといて



結婚したものの戦争が始まり、じぃは戦場へ、
ばぁは乳飲み子を抱えて逃げ惑う日々

これまた壮絶な話なんですが滝汗
ここもまたいつか記録としてお話しできれば…

さて

戦争が終わりどうにか無事に再会できた2人…
いや…3人は。
(母の姉にあたる叔母は満洲で生まれていたので)
満洲から故郷鹿児島へ帰還

満洲で一生懸命働いてためたお金は全て没収され、
1人千円(今でいう10万円)、3人だから3千円だけ
持たされたそうで…


3千円で新しい生活を鹿児島の高麗町という
所で始めた3人

じぃはカクイ綿という会社に就職
ばぁはそのじぃが働く会社に、綿が納品される
際に包んでくる紙を持って帰ってきて貰って
その紙で袋を作って売る、田舎から貰って
きた野菜なども売る
モノの無い時代、ばぁの始めた内職は結構
繁盛したそう
じぃもばぁも必死に働いて、貸家も自家所有
出来るくらい稼いで頑張ったらしい…

順風満帆に行くかと思っていた矢先…
ほんの油断から、このままやっていても
普通のサラリーマンでは稼げないお金が必要に
なった…
幼子をおんぶして夕暮れの町を途方に暮れながら
歩いた話もよく聞かされました🌇

夫婦でこの先どうしよう…と悩んでいた頃

我が町湯之元は、近場の温泉街として、それは
それは賑やかに栄えていたそうで


よし!そこだ!と、一大決心をして
湯之元の町に移り住み、商売を始めた2人


ツテも無い、知り合いも無い、土地勘も無い。
無い無い尽しのスタート

ヤル気とアイデアを持って、ただひたすら
体を動かし働くじぃ

キレる頭と天性の人懐っこさで、コミュニケーション
上手なばぁ

そんな2人が始めたたった5坪の小さな店は、
町の賑やかさ豊かさにハマり、
着実に業績を伸ばしていった


それでも、元々の地の人間でない故。
辛い言葉、嫌な言葉もたくさんかけられた
らしい笑い泣き


踏まれても 根強く忍べ道千草
いつか花咲く 春は来るなり

ばぁは幼い時に、小学校の校長先生をして
いた父親を亡くし、それからは父無し子として
辛い日々を過ごしたそう

だから、辛い時はこの言葉を胸に頑張ってきた
オマエもこの言葉をしっかり覚えておくんだよ
そう…事あるごとにそう言い聞かされた


そして、ばぁはその言葉の通りじっと我慢して
何クソ‼️と踏ん張った

え?じぃは?


どわ〜っと進むのは得意だけど、何か困難が
くるとチーン もう…ダメだ…、やめて田舎に帰ろう
と凹むそうで…

その度にばぁが尻を叩きまくる!

良いコンビだったのねぇニヒヒ

そうして、こうして

66年の間に5坪の小さな商店は、町の中心で
360坪の大きさまで成長し⤴️

全盛期は開店を待つお客様が行列をなし
従業員もたくさん抱えて

湯之元界隈では有名な店になりましたデレデレ


お陰さまで、母たちはお嬢様として育てて
もらい、私たち孫世代も宮内さんの所の
お孫さん💕として、不自由なく育てられた

たまに苦労話を聞かされたけれど、生まれた
時から豊かである事が普通だったので

その時は また始まったよ〜ゲロー位の気持ちで
聞き流していた

商売人でなかった2人が、商売人として生きる。
何のノウハウも無い、味方も無い
それがどれだけ大変な事だったか

商売人として3代目にあたる私
生まれた時から地盤、看板、カバンもある
あるのが当たり前の状態で

商売した〜いと、呑気に始めた商売は…

今思い返すと…

商売なめんな!
あの時の私を殴ってやりたいムキー


商売の上辺だけを見て、分かった風な気持ちに
なって、うまくいかないと頼って助けて
もらって…



大きな大きな存在だった2人が居なくなって…


やっと、ポーン あれ?私って崖っぷち?
頼れる 地盤、看板、カバン…

どこいった💧

と、無くなって初めて気づくという…

今頃になって、事あるごとに聞かされた
商売の苦労話が身に染みる

そして

2時間ドラマじゃ無いけれど…常に

崖っぷち

にいる恐怖が付きまとう


このコロナ禍で世の中が衰退している事も
ビシビシと肌で感じる

地盤、看板、カバンは無くなったけれど、
先代から口やかましく聞かされた苦労話が
今になって生きてきていることも感じる

だから何か力と思いが湧いてくる

何かやれそうな気がする〜ニヒヒ


ただ…


ひとつ心残りなのは


アイデアマンで、この町でがむしゃらに
湯之元を盛り上げよう!と働きかけ、
まるで商売が趣味だったじぃが…

晩年は

チーン 商売はすかん!(キライ)と
言って、一切仕事の話を受け付けなくなって
逝ってしまったこと

商売が大好きで、大好きで。

頑張ってる姿を見ては、手を叩いて喜んで
いたのに…

衰退する町も店も見たくない、聞きたくない
商売の話も聞きたくない!

まるで見限ったように世間を遮断して



だよね…そうなっちゃうよね


この町を見るのは辛かったよね


豊かさ、便利さからは知恵もヤル気も生み出さない
のでは?と最近とくに思う

現に私は持っていなかった

いま日本人が忘れてしまった
ハングリー精神

これこそが、今の日本に大事なモノなんじゃ
ないかな

ねぇ?じぃとばぁ?
商売はすかん!て言わないで…

この湯之元をまた賑やかな町に少しでも
出来るように頑張るから。

その時は手を叩いて喜んでくださいね