品性や品格なんて、生まれ育った教育環境や人それぞれの素質、人生哲学やポリシーなど様々な要因が絡んでいて、一朝一夕で身に備えようと考えるのは浅はかである。
ましてやこのようなマニュアル本に頼り、人から上等な人間に観られようと奮闘する姿は、さもしい限りであります。
そんなインスタントなことで得た似非品格なんて、すぐに見透かされ嫌厭されるのが落ちだと常に思っておりました。
品格のあるなしを評価するのは、独りよがりではなく他人様の目なのです。
身内が持ってきた本なので、暇つぶしにと読んでおりましたら案の定、品のある立ち居振る舞いや言葉遣いまで懇切丁寧に述べられており、少々うんざり感が漂ってきたので途中放棄しようと思った時に目に飛び込んできた一文をそのまま抜粋します。
不完全で、欠点の多い自分をありのままに告白して、あるがままに認めてもらおうというのは、とても不遜極まりない態度です。
できるだけそうした自分を召せないで少しでもいいところを見せるように努力することが、人間の品性を高めるのです。おそらくどんな立派な人でも地位のある人でも成功した人でも、一皮剝くと、弱い部分、情けない部分、どろどろした部分があるでしょう。
そうした弱点があるのは人間だから、当然だと居直るのではなく、いかにして表に出さないように努力するのかが重要なのです。
逆にそういう努力はしんどい、めんどくさい、私にはできないとあきらめてしまうと、品格のない人間になってしまいます。
日本の若者たちが、最近行儀が悪い、マナーが悪いと批判されるのは、多くの若者がそうした「少しでもよくなりたい」という夢を捨て、「私は(ボクは)これでいいんだ」と人生を降りてしまっているからです。
経済的格差より、自己評価格差のほうがすっと問題だと思います。
経済的格差より、自己評価格差・・・・
考えさせられますね!
日頃、真宗系の僧侶のお話を伺っておりますと、心の荷物を降ろしなさい、あるがままを生きなさいとの言葉が印象に残ります。
それは苦しみの原因の一つが鎧をまとっている自分に押しつぶされそうになっている自己の姿であるからだとか・・・
私の勝手な解釈では、この鎧こそが自身を必要以上によく見せようとする「品格」なのではないかと思うことがあります。
ですから僧侶の言葉と、著者の考えは背反する意味を持つのか深く問答することになります。
どちらかが正解で片方は間違っているというのではなくて・・・
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