「心は女だ」と言うだけで女湯に入れるというデマ | 自立したカッコいい女を目指す

自立したカッコいい女を目指す

触ると危険。
「男らしく、自立したカッコいい女」を目指す、
遺伝子「男」の、あれやこれや。

アンチ「新興宗教GID」

……、いや、デマちゃうやろ。

というか、「目指しているLGBTの権利が保障された先進国アメリカ」で実際に起こってるからみんな不安になってるんだが。

 

おーけ。

では「性自認」は何によって判定するんだ?

「心は女だ」以外に何がある?
髭が生えてるから? 肌が弱くて毎日の髭剃りができない人は?
まだ下についてるから? 手術ができない事情がある人は?
服着てる時は混ざって見えても、裸になったら周囲を緊張させる程度の骨格の違いはある。
その緊張という「現実」をありのまま認知できてないだけの可能性は?(そう言う人が突然入ってきてねぇみたいな話は、ちょいちょい聞いた)
 
体格骨格がどう見ても男性であったとして、体の性と逆の性で暮らせないと苦痛というGIDなら、そういう人のほうが苦痛は深いわけだが、「私は異性に溶け込んでいる(と本人が思い込んでいるだけであったとしても)」という人と比べて、前者は「犯罪者」として追い出す、ってほうが明らかな「外見と性自認による差別」になるのだが、それでも「私たちはそういう変態犯罪者とは別物である」と主張するのだろうか?
 
「LGBT先進国での実例」を見てみると、「心は女だ」と言うだけで女湯に入れるというデマというの自体、むしろ一部の人の思い込みなんじゃないかと思う。
 
典型的な「フット・イン・ザ・ドア」だと感じる。
例の「困難を抱える女性」関係のアレと同じ。