実は米共和党の方が多様性を認めている | 自立したカッコいい女を目指す

自立したカッコいい女を目指す

触ると危険。
「男らしく、自立したカッコいい女」を目指す、
遺伝子「男」の、あれやこれや。

アンチ「新興宗教GID」

まさか!

と思うだろう。

もちろん、共和党支持者には一部白人至上主義的な人も混じっているが、総じて多様性を認める方向性の持ち主だ。

どういう意味か?

 

それは例えば「政治的に正しい多様性」を強要しない、という点にある。

逆説的だが、リベラル/民主党支持者の言う「政治的に正しい多様性」は神の如き唯一の正しい多様性像を前提としていて、それ以外の解釈は一切認めない全体主義的均質的「多様性」であり、その多様性はどう扱われるべきかが正しく規定された枠をはめられた「多様性」であり、その下では真の意味の多様性は存在し得ない。

例えば「違法移民は弱者であり、違法移民も多様性のもとに包摂されるべきで、それ以外の一切の解釈を許さず、反対意見は口汚く罵る」などだ。

 

共和党支持者も多様性に狭量に見える部分はある。

それがどこか理解すると合点が行くと思う。

共和党支持者は、いろんな立場、いろんな状況の人がいることを理解している。

それでも最小限の共有物をイメージしている。

それが「法律」だ。

そのルールを守る間は、お互いに過度な干渉をしないのだ。

 

例えばオバマケア。

皆保険は低所得者を救うため、と民主党は導入したわけだが、「酒、麻薬をかっくらって野垂れ死ぬ人は好きにそうすればいい。だがそういう人のために国がお金をかき集める全体主義的な仕組みは間違えている(ただし、教会にはお金を出している場合が多い)」と考えるのが共和党支持者だ。

弱者救済は宗教の管轄、と考えている。

 

銃規制にまつわる修正第2条。

共和党支持者は「いろんな人がいることを理解している。だからこそ、自分自身を守る必要がある場合には銃が必要だ。警察がいると言っても、緊急時には到着を待っていられない」と考えている。

民主党支持者が集中する西、東海岸の都市部住人の足りない想像力では理解できないだろう。

 

違法移民についてもそうだ。

違法移民があると言うことは、もちろん反対側には合法移民がある。

トランプは合法移民はこれっぽっちも否定していない。

移民したければ法律に従って、合法に移民すればいいのだ。

トランプの主張するように、違法移民は犯罪者をスクリーニングできない(「違法移民は犯罪者集団だ」みたいな言い方にやや難はあるが)。

メキシコとの国境の壁についても、そこを通して薬物などが持ち込まれているのは事実だ。

リベラル/民主党支持者は、「かわいそうだから、違法移民にも市民権を」と言う。

まるで神の如き正しい存在である私からの温情により、というやつだ。

アメリカ国民は、それについて合意していない。

むしろ合法移民の反対解釈から明確に否定しているにもかかわらず。

リベラル/民主党支持者は、超法規的措置や司法立法を常識と考えていて、民主主義下の法律というものを全く理解していない。

 

信教の自由についてもそう。

共和党支持者は、メリークリスマスという自由、多様性を認める。

が、リベラル/民主党支持者は、全体主義的に均質性を求め、「良いお年を」と言うことを強制する。

そこに信教の自由はない。

 

ある国の文化が好きだからとそれを身につけて発信すれば、「文化の盗取だ」とリンチする。

彼らのとっては「リスペクト」という概念はなく「それでいくら稼ごうとしているか」という金銭(数値)化した価値観しか存在しない。

 

何かあれば法律によらず、口汚く罵り、社会的に抹殺する(BLMの発端になった事件について覚えている人はどれくらいいるだろうか?)

これと同じような国が東アジアにあることにお気づきだろうか?

そう、共産中国、韓国で、どちらも前近代的国家だ。

 

ものごとは均質化している方が理解しやすいし、操作しやすい。

人間を均質化、数値化することを目指しているのがリベラル/民主党支持者であり、実際には多様性を完全否定しているということだ。

この特徴は、彼らを支持するIT企業と融和性が高いことにお気づきだろうか?

 

うちにとっては、民主党的リベラルな世界が広がることは恐怖でしかない。

民主党支持者はみんな、自分は頭が良く、神の正しい知識を持つという妄想に取り憑かれた、傲慢でお節介(パターナリスト)で世間知らずな全体主義者、狂信者としか見えない。

民主党支持者の法律家なんて自己矛盾だと確信している(プチ独裁者だ)。

 

#うちは、リベラル発のマイノリティ運動には賛同できない。特にGIDにまつわるものは。「男の子にも女の子にもなれる」という言葉には吐き気すら覚える。本当の当事者はそれが不可能なことを痛いほど自覚しているからだ。スカートを履けば、女子風呂に入れればそれでOk、という人はつまりそれがしたくてしたくてたまらず、それで満足できる程度の人なんだ、ということだ。