物事や人物から 
食べ物、娯楽、文化に至るまで

古今東西 
好き嫌い
否定と肯定は必ず起こる事ですが

人の話を聞いていて
ただの食わず嫌いに聞こえる様な
話題も多く

そんな話を聞くたびに
もったいなさを感じる事もあります。

好き嫌いをはっきり言える事も
大切な事だとは思うのですが

私自身
物事に対して
好きか無関心がほとんどなんですね。

 

嫌いな食べ物も特になければ
絶対的に嫌いである
と断言できる物や人物が
ほぼほぼ見当たらないのです。

「あの人のこの発言はいかがなものかと思う
それはこういう理由で私は別の意見です」

 

といった反対を発想を持つ事は
これまでたくさんありましたし
口論になった事も
激しく怒った事もありますが
怒る=嫌い 
ではないですね。



なので 嫌いな芸能人やネットタレントは 
おそらく一人もいません。

ただ、興味や関心の無いか薄い人はいるといった具合で
基本的に好きな人が多いです。 

現実において、理屈抜きに
生理的嫌悪感を感じる事柄や人物がいないわけではないですが
それすら、嫌悪感を感じる前に
自分からその場から離れてしまうため
大きなストレスもかからないと言った具合です。
ヤバい状況からは 
謝ってでも即逃げます。 


なぜ嫌いという発想が乏しいのか
考えていたのですが

おそらく
初見で物事を断言できるほど
それを知らないので
知ってからの判断でも遅くないと
どこかで思ってるからで

基本的に経験主義、体験主義な所が
そうさせるのかもしれません。 
何よりも

嫌いだと思ってしまうと
それ以上その事を知らないままで
知的好奇心を満足させるという意味でも
もったいなさを感じてしまうんですね。 

つまりは

嫌いという感性は割りと損だと思っていますので
自身の知見を広げるという意味でも
好きと無関心を標準装備しておきたいと
常々考えています。

無関心はいわばフラットな状態であるため
好きに偏る可能性も十分にありますので
一度興味もって、やっぱり楽しいと思えなかったら
また無関心でいいと思っています。 

それほどまでに
私は知らない事が多すぎます。
そう感じるほど
自分の無知さを再認識します。

知らないよりは知っていたほうがいいですよね。

終わり。