生真面目で誠実さが割りと重要視されやすそうな傾向の強い
この日本の慣習でもある
人に弱みを見せられないという感性。
私は悪癖だと良く考える。
どちらかと言えば
先にダメなとこを見せて
なめられて期待値下げてから
ゆっくり成長していく方が自分も相手も気持ちが楽なのではないか?
と、ふと思ったりする。
昔プロミュージシャンを目指していた頃は
路上ライブを副都心あちこちで展開していたわけだが
私達はパフォーマンスという部分で
自分たちの奥義にしていた部分が
このなめられるという部分。
私達は当時童顔であったため
高校生に間違われる事もあったため
わざと学生服っぽい制服とカバンを持って
見かけ上学生を装ってライブをしていたのだが
20代前半で本格的にプロを目指しているのであれば
あのくらいできて当たり前だろ?
と思われやすいが
10代の高校生がやる演奏であれば
そうとう演奏力が高い印象を通行人に与えられるだろうという
見かけ上の工夫であったがそれなりに成果があった。
最初に立ち止まらせるきっかけは何でもよく
その引っ掛かりとして上記の装いをしていたわけだが
この引っ掛かりを作るというのは
簡単そうで難しかったりする。
極端に言うなら
小学生がギターを持って
将来プロを目指しているという子が
「これから演奏するから見てて!」
と言われたら
多くの人は「どれどれ♪演奏してみなよ(*´∀`*)」
という感覚になると思うが
そこで小学生がスーパープレイをかましたら
多くの人が驚くと思う。
なぜ驚くのかというと
それは子供だからと侮っているからこそ生まれる
その振り幅。
似たような話に
お笑いコンビ ダウンタウンのまっちゃんが
かつてラジオだかで話していた
面白いと思わせる話のコツを聞いたことがある。
それは話の聞き手に
「話のオチを予測させて少しなめさせる」
と言っていた。
うっすらと結末を聞き手に想像させる事で
「なんだ、、そんな事か」
と感じさせる事が笑いを起こすための
いわば土台となり
最後に想像すらできないような
オチを持ってくる事で
爆笑が生まれる。と。
音楽であれお笑いであれ
おそらくこれらは
多くの人が
経験や偏見、思い込みというフィルターを通して見るからこそ
生まれるそのギャップであって
そのギャップと振り幅を作り出す事も
一つの技術なのだと痛感する。
そしてこれらは
芸術や芸能から
一般社会の分野にまで
応用できる万能な対人スキルなのだと
私は思っている。
「なめられる」は一時の恥かもしれないが
その後に成長する前提であるのなら
それは大きな振り幅を作るための
大切な要因なのだと思う。
終わり。