影武者織田信長 その2 | 一礼のうつらうつら

一礼のうつらうつら

気の向くままに

1570年 金ヶ崎城本陣 影武者河原崎新之助の述懐


「おのれ、おのれ長政!」

あーあ、怒ってるよ、怒ってるよお館様。久しぶりだな、こんなに怒り狂ってるお館様見るのは。

そりゃそうだよ。大事な秘蔵の妹をやった、信用していた義弟が裏切ったっていうんだからさ。

柴田の親父様なんか髭面で体もごついザ・猛将って感じなのに、借りてきた猫みたいにちっさくなってるし。猿なんかはいつもの超大げさな動作で恐縮しまくってる。でもあれは半分芝居で半分本気なんだろうな。

お館様はさっき届いた両サイドが縛られた小豆袋を地面に叩き付けた。激おこだな。あーあ、もったいない。ていうかさ、なんでこの小豆袋で長政が裏切ったってわかるの?十兵衛、教えてよ。

十兵衛は頭いいけど、クソ真面目だからなぁ。付き合い長いけど昔はそれで損したこともいっぱいあったよな。

で、なんでなのさ。ほう、袋のネズミ。なーるほど。

なんてやり取りをしているとお館様がとんでもなく恐ろしい目で睨み付けていた。超怖い。

長いことお館様の影武者やってるけどこの目はマネできなかったな。昔、お館様といたずらで奥方の帰蝶様をからかってやろう、ってことやったけど、さすが奥方様。あっさり見破っちゃったよ。なんかさ、目が違うって言われたな。

それでも柴田様や丹羽様はわからないみたいだけどな。藤吉郎も十兵衛もすぐにはわかんないらしい。さすが奥方。

「逃げる」

ひとしきり悪態をついた後、お館様は決を下す。でも、浅井と朝倉が一緒になって攻めてくるんならそれしか道はないだろう。

「お館様っ!」

藤吉郎がいきなりでかい声で地面に這いつくばった。大げさな土下座、地面にデコをこすりつけて、カエルみたいにへばりついている。

「この猿めに、殿をお任せくださいませっ!柴田様丹羽様はじめ、織田家のお歴々は、織田家になくてはならぬ方々っ!この場は身分卑しくお仕えして日も浅いこの猿めを織田の捨石をしてお使いくださいっ!」

藤吉郎は顔を涙と鼻水と泥でぐちゃぐちゃにしながら叫ぶように言った。この殿軍はすげぇ危険だ。後には引けない勇将ぞろいの浅井と、戦勝の勢いに乗った朝倉が雪崩を打って攻めてくるはずだ。

藤吉郎の言葉はこの場を支配していた。でもな、藤吉郎、これはお前の筋書なんだろ?確かにものすげぇ危険だけど、自分も部下も可能な限り生き残るための策は張っているんだろ?柴田様なんか単純だから涙ぐんでるよ。よく言った、見直したぞ、とか思ってそうだ。

「身分卑しき百姓の出のオイラを、ここまで引き立ててくださったお館様はじめ、皆々様の御恩に報いるときと思ってまする!」

いつもの大げさな身振り手振り、ああ、こいつはいつもそうだ。チャンスがあればいつもそれに食いついていく。墨俣のときも、稲葉山のときもそうだった。そして死ねば自分はそこまでと思っている。命に執着がないように見せて実は誰よりも命に執着している。

俺もそうさ。お館様の影武者として、今が死ぬ時だ、と思う。俺も藤吉郎と同じさ。武士でもなんでもなかった俺を拾ってくれて、影武者としてここまで引き立ててくれたんだ。

「よくぞ申したな、猿。わかった、殿はお前だ。ただし、死んではならぬ。生きて京まで帰ってこい。今日の雪辱をともに晴らすぞ」

「お館さ・・・」

「先陣は権六、露払いだ。行け!新之助、行くぞ。お前も死ぬな。朝倉ごときに討たせてなどなるものか」

俺はお館様と陣を払った。その時に一瞬だが藤吉郎と目があった。こいつとは境遇は似ていたがあんまり仲良くはなかったな。でも、危険な役回りだ。お互いにな。

俺はお館様の装束に着替え、お館様は顔に泥を塗り、足軽雑兵の姿になる。

「京で会おう、新之助」

お館様、新之助はこの戦いで立派にお役目を果たします。おさらばでございます。


つづく