1570年 朽木谷付近 先鋒柴田勝家の戦い
なんということだ、なんということだ。この柴田勝家が、掛かれ柴田、鬼柴田と呼ばれた織田家一番の猛将、織田の先陣がこの戦では後れを取っているではないか。
長政といい、木下といい、どいつもこいつも。
木下が殿だと、あの新参の百姓にしては度胸のある、思い切った決意をしたものだ。長政も、朝倉の、雪崩を打って攻めてくるぞ。好機、今こそが好機と。対してわが軍は一歩先んじたとはいえ、敗走だ、わしは敗軍の先鋒。お館様の露払い。この戦こそ、わしはお館様から受けた恩を返すべく、殿を引き受けるべきではなかったのか?
わしは昔、お館様に謀反を起こし、弟君の信勝さまに加担した。しかしなぁ、あの頃のお館様はそれはそれはひどいものだった。うつけ殿とよばれ、荒縄やら瓢箪やら、小汚い恰好で往来を闊歩し、川で泳いだり、相撲で泥だらけになったり、元服の義では暴れる、婚礼の日も暴れる、揚句、大殿のご葬儀では焼香の灰を位牌に投げつけるなど、わしは何度も何度も度胆を抜かれた。平手様も腹を召されて、このままでは織田は滅ぶを考えたのはわしだけではなかったかずだ。でもなぁ、お館様はうつけを演じておられた。信勝様との争いにもお館様は勝たれた。信勝様の重臣が次々と処分されるなか、わしは許された。わしは織田に必要な人間だ、俺を支えてくれ、と叛旗したわしを寛大にも許して下された。
それからお館様は桶狭間で、稲葉山で、伊勢で、京で、目まぐるしい活躍ぶりだ。織田がここまで大きくなるとは、大殿、ご覧になっているか。
わしは殿で死ぬ役を木下に奪われたが、考えても見てみろ。やつもお館様から目をかけられ、とんでもない温情をかけられている。卑しき百姓の分際で成り上がった、いけ好かない小僧だが、やつの勇気と知恵は一目に値する。だが、心配するな木下よ、貴様の骨はこの勝家が拾ってやろう。気に食わないヤツであったが、ともにお館様に仕えた身、命を懸けた貴様の勇気、わしは感動したぞ。
わああ、わああ、と怒号と悲鳴が聞こえる。あの旗印は浅井の伏兵か。ええい、猪口才な、一発で蹴散らしてくれようぞ。
同じく、第二陣、足軽に化けた織田信長の戦い。
おおおおお、おおおおお、と怒号と号令が聞こえる。先陣の権六か。なんてでかい声だ。かかれ、かかれとかすかに風に乗って聞こえてくる、戦は権六の軍が織田で一番強い。権六の指揮官としての優秀さもあるが、兵の練度や士気が違う。権六が馬上で槍を振るい、常に軍の先頭で鬼神のごとき戦いを見せる。バタバタと敵が倒れ、首が飛び、とんでもない返り血を浴びた権六が勝どきを上げる。兵もまた勝どきを上げ、一体となって次の戦いに突っ込んでいく。
しかしさすが長政、街道の要所要所に伏兵を置いているな。出てくるタイミングも見事にバラバラで、俺たちの隊列をいい感じに混乱させている。数が少ないのは置かなかったのか置けなかったのか。まぁ、どうでもいい。
俺は太刀を、槍を、ぶんぶん振り回して前進する。こんな前線で槍を振り回したのはいつ以来だろうか。桶狭間だったかな。
若いころは勝三郎や犬千代らと走り回ったもんだ。懐かしいよな、この感じは。
体はけっこう動くもんだ。太刀が欠ければその辺に落ちてる槍やら刀やら、とにかく武器になりそうなもの石も投げる、木の棒きれでも振り回す。そう、これが兵卒の戦い。本陣で床机に座ってふんぞり返るだけの将ではわからない戦の本質だ。
戦場に立たなかった、最前線で戦うことをやめた今川義元や朝倉義景ごときには到底たどり着けない領域。
再度、敵の伏兵。味方が壊滅してもなお、身を潜めていたのか。権六はさらに敵を蹴散らしながら前進。まずい、じきに本隊がくる。新之助の本隊がくる。こいつらの狙いは本陣の急襲だ。俺の首をあげるつもりだ。
刹那、腹に強烈な灼熱感。
槍が食い込んでいる。
俺の腹を刺し貫いた雑兵はまた、次の敵へと殺到していく。
気づけば周りには敵も味方もいなかった。
やばいな、力がはいらない。目に映るのは俺から流れ出る赤赤赤赤赤。赤ばかりだ。
あの雑兵は俺が信長だと気づかなかったようだ。
暗くなってきた。
誰かが走ってくる。
あれは、誰、だったか。
同時刻、明智光秀の絶叫。
「影武者が討たれた!お館様をお守りせよ!」
つづく