父の死 | ユキノのツブヤキロク

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生まれ育った石垣島からX(旧Twitter、調子悪くて更新出来なくなったので)代わりにアメブロでつぶやいてるよー\(^o^)/

日付が変わってすぐ、にーにーから連絡があって。

「父ちゃん亡くなったから」

と。

お通夜は土曜、葬式は日曜日にと。

そうかそうか。と、冷静な私が居る。



覚悟はとうに出来ていた。

何なら長生きさせて貰ったね、って思ってしまうくらいで。

透析を始めて20年以上、そろそろ30年になってしまうぞ、と思っていた矢先の出来事。

「この人(父)はちょっとやそっとじゃ死なないよ」

と、笑いながらお世話になっている先生が言っていた。

その先生が先に天国へ行ってしまい、本当に父は長生きしそうだなと感じた学生時代。

だいぶ頑張ったよ。うん。

孫の顔も見せる事出来たし、良かったと思ってる。

長年、きつかっただろうよ。

辛かっただろうよ。

私に辛い顔なんて見せずにウインクしながらニコッと笑ってくれる顔が思い浮かんだ。

その顔を思い出した途端に涙が出てきた。

家族にとっては最低な父親だったけれど、その家族か1人居なくなったと思うとかなしくなってきた。



先週、ヤバいかもしれないと連絡を受け、入院先の病院へお見舞いへ…

行こうとしたけど行けなかった。

勇気が出なくて。

最期を迎えようとしている父を見る勇気が出なくて。

こわくて。

会ったら本当に最期なのかもしれないと思って。

もしかしたら、父はお見舞いに来てくれるのを待っていたかもしれない。

でもこわくて出来なかった…

現実から目を背けてしまった。

もしも、もしもね?

お見舞いに行ってたら

「大丈夫よー」
「ピースピース✌」

なんてダブルピースしながらニコッとウインクしてくれたかもしれない。

看取れなかった事、娘として悪いことしたなって思うけど、行ってたら逆に不安で眠れなかったり家事も育児も仕事も手付かずだったかもしれない。

わからんけどね?

少しだけ後悔してる。少しだけ。



75歳。

逃げ出そうとしていた時もあったけど、約束した通り、光洋にーにーの分も頑張って生きてくれたよ。

お通夜の時に沢山話そう。

何年、何十年と話していなかった事を。

頑張った、本当に頑張ったよ。

お父さん、お疲れ様。