子供の頃から考えてきたこと。




神とは何か。





神と宗教とは違う。




神は存在




宗教は、その神をあがめる人の行為であり、慣習。そこには様々な人の思惑が介在もすることもあるため、歴史的にも宗教戦争等含めいざこざが絶えなかった。



でも、神とはそのあがめられる存在であり、宗教の信仰の対象とはなっているが、それとは切り離して考えるべき存在。



小さい頃は、家に神棚・仏壇があり、恵比寿様のような姿形をした神なんているわけないと思っていた。でも、「悪いことをすると神様が見てるよ」と言われ、その存在は何かを考えていた。




高校に入りミッション系の高校へ。そこでキリスト教の思想に触れ、その後、イスラム教含め、様々な宗教的な価値観にも触れる。




ヨーロッパを訪問し、金銀宝石に彩られる教会を見るたびに、美術品やそのときの人の思考としての美しさを感じると共に、本来羊飼いの貧しい家庭に生まれたイエス・キリストが説いた教えとは反する、教会の富や権力、人のどろどろとした社会や生き様、私利私欲や権力や矛盾を感じた。




その中で、キリスト教でも偶像崇拝を禁止しており、神とは恵比寿様のような姿があるものではなく、姿形がないものであると知る。イエスキリストはあくまでも神ではなく、神の子。




イスラム教では、幾何学的な模様や数学的思想の中に神を見出すという。




そして「神とは姿形がないものなのか」と気づく。



それから神は何かと探す。




キリスト教では三位一体。神の父と精霊と子であるキリスト、全て同じもの、という思想。




中国では陰と陽の思想。




仏教やヒンズー教では神はいたるところにいるとする(多神教)。




キリスト教やイスラム教は神は一つであるとする(一神教)。


全てに共通するもの。




それはエネルギー




今科学が発達し、人間もプラスとマイナスの細かい素粒子、さらに細かいエネルギー体で成り立っている、すなわち人も自然も全て同じもので作られているということが分かり出している。




この宇宙を成り立たせる幾何学的な数式、宇宙を生み出したプラスとマイナスの集合体のエネルギー今の物質世界の至るところ、自分の外にも内にもあるエネルギー、自分を作り出し、自分の思考を作り出し、自然を作り出している全てのエネルギー作用




人生も経済も全てはエネルギー。だからマイナスで落ち込むときもあれば、プラスで上がるときもある。不運なときもあれば、幸運なときもある。




陰と陽。




エネルギーはいたるところにあり、つながりあってる。風が吹けば落ち葉が舞う、髪がなびく。




ドアを押したらドアが開く、、そうした全ての細かい作用が繋がりあって、今の私たちの生活や世界、宇宙が作り上げられている。



そして、その中でも至高なものとしてのプラスの波動、エネルギー




キリストが私たちすべての罪をかぶり、十字架に張り付けになった際の愛、母の子どもに対する無償の自己犠牲愛。マザーテレサの貧しい人に対して施した愛




・・こうした愛の波動が一番至高のエネルギーとして、存在している。




エネルギーの法則。プラスとマイナス。プラスがあるからマイナスがあり、マイナスがあるからプラスがある。




神は自分の外にも内にも至るところにあり、神と精霊とイエス・キリストも、私たちも皆同じエネルギー体。




宇宙を作りだしたエネルギー体であると考えれば一神教であり、エネルギーは至るところにあると考えれば多神教となる。





究極的な持論だが、結局全ての宗教は、同じものを違うことば違うやり方で信仰しているにすぎないと思う。




また、全てがエネルギー体で繋がりあっていると知れば、自分にも、周りの人にも、自然にも、動物にも優しくなれる




因果の法則。




自分が起こした言動の他への作用と反作用。




愛の波動、幸せのエネルギーで回りを満たしていきたい。