こんにちは。

 

前回の死産の記事からだいぶ経ちましたが、

 

少し悲しみから抜け出せたかな?思い出すとまだ悲しくなってしまうので、思い出さないようにはしていますが。

 

あの記事を書いたあとも、

心の変化に体が思うように動かなくなってしまい、生きるのを諦めようとしていました。

 

子供二人をどうにか(養護施設or乳児施設)に預けて、一人で消えようと毎日考えるばかり。

 

 

消えたい。。

 

いなくなりたい。。

 

一人になりたい。。。どこか遠くに行きたい

 

 

思考も停止して、ご飯も食べれなくなって、片付けれなくなって、子供のご飯も1日2食が限界で、レトルトのカレーライスがぎりぎりでした。

 

ついに子供が冷蔵庫をあさるようになり、残っていた気力で区役所に連絡を入れて「助けてください」と電話番号を記載したメールを送りました。

 

その日のうちに電話がかかってきて、健康・福祉課にメールしたつもりが、介護課?にメールしていたのが判明。後日、保健師さんが様子を見に来てくださいまして、家にきてくれていた訪問看護師さんも週1から週3に介助?に来てくれるようになりました。

 

 

その後、私は旦那に日頃の感謝とともに「育児が限界です」と本音の手紙を出しました。

(面と向かって話そうとするとプレッシャーで過呼吸になってしまいそうで)

 

 

手紙には、習い事に通うための電車も過呼吸が頻発して怖くなったこと、階段も不安で手の震えがとまらないこと。

小さな赤ちゃんを見かけるたびに涙がこぼれそうになること。

レポート用紙2枚分のメッセージを旦那の机の上に置いておきました。

 

 

 

旦那は、それを「遺言」と捉えてしまったらしく、私の危機感を感じたそうです。

 

 

それから今にかけて「心療内科」にかかっています。

 

前に「パニック障害による過呼吸」で通院していましたが、旦那の反対で通院をやめていました。

 

今回は不眠症もひどかったので、睡眠薬をもらったのですが、大量摂取しないように必要最低限の服薬量しか渡されませんでした。

 

 

そして、印象的だったのが「入院」をすすめられるレベル?だったこと。

旦那に連絡して「入院するべきかどうかの判断」をたずねていたこと。私がどんなに拒否しても旦那が「入院するべきだ」と判断した場合はそういう施設に「入院措置をとる」ということです。

 

 

旦那と私は電話で、「子供の預け先がない」ことを理由で、先生に「入院しない」ことを伝えました。

 

 

 

それから旦那が会社のつきあい(接待含む)を断るようにして、定時で帰ってくるようになり、育児の負担を減らす努力をしてくれました。

 

 

 

 

未だに遠くに行きたい願望は少なからず残ってはいますが、精神安定剤の種類を変えてもらって、睡眠リズムも取り戻せて、普段通りの生活をおくれるようになってきたかなと思います。

 

 

孤独な入院生活や、孤独な私生活が私を駄目にしたんだ。これからは少しずつ前向きにやっていこう。って今なら思えます。

 

 

 

再スタートですかね。

 

 

先生には「まだまだ治療中。焦らずにやっていこうよ。焦ってしまったときは好きなことに没頭して、またお話してね」って言われています。

 

 

誰とも話さずに子供としか話してない1日が「孤独」となってしまったのを先生が指摘してくれて、やっと気づいた!

 

 

「私は孤独が慢性的になっていたんだ!!」

 

 

 

 

私にとっては大きな気づきです(笑

 

孤独は心の余裕を消してしまうということ。存在を消してしまうということ。

 

 

アイデンティティー。

 

生きていくのに大事なやつですね。今後は見失わないようにしなきゃ!!

 

 

こんにちは。お久しぶりです。


重たい話題からすみません。



先週、お腹の中の赤ちゃんを失いました。


妊娠5ヶ月、17週と4日。安定期入ってから、ひどかったつわりを乗り越えて、診察で分かったのが「男の子」
でした。


うちには上に長男、下に次男、でも三男でも嬉しい〜🤗

って思ってた矢先のこと、

この子は肺が完成する前に生まれてきてしまうと告げられました。


妊娠して初診でわかった絨毛膜下血腫。

それが子宮全体を包んでしまうと流産すると聞いていました。

安定期入って、大丈夫だったんだ、血腫は消えたんだって思ってました。

でも、陣痛が来るのも時間の問題と聞いて、その日は自宅に。


そして、夜中に陣痛と出血が始まり、救急車で緊急搬送されました。


先月、次男が二回目の手術を受けた大学病院です。



夜中から朝方、お昼にかけて一人ぼっちで陣痛に耐えました。


陣痛が引いた時にウトウトして
喉が乾いたら、持参したペットボトルのお茶をすするように飲みました。



激痛の中、看護師さんが出入りするだけでした。

孤独でした。



生まれたらこの子は死んじゃうんだって、1人で泣きました。


だんだんと我慢できなくなってきて息もできなくなってきてナースさん呼んだら、

出血が止まらなくなって、涙が止まらなくなって、三番目の子が生まれました。




月曜日、その子の火葬に行ってきましたが、
心ぽっかりというよりは、なんでこんなに悲しいのか自問自答ばかりでした。


でもきっと、看護師さんがその日のうちに赤ちゃんと対面させてくれて、手に乗せてくれて、着替えをさせてくれて、手形もとってくれて。
今は辛いけど、忘れないように写真撮影もしました。


希望したことは全部、させてもらえました。



だから、悲しいけど、悔いはないかもしれません。



火葬場では、朝一番じゃないと骨が残らないかもと教えてもらって、させてもらって、無事、収骨できました。
といっても、ちりとりみたいなので集めたのだけれど、骨だって分かるくらいのものだったので、それこそ、心残りはないのかなって。


心残りっていうと変に聞こえるけど。
後期流産。一生忘れない言葉だと思います。



一つの区切りと思って書き残しました。

辛い気持ちがうつってしまったら、ごめんなさい。