今までは、
日々起こることを、
単なる『出来事・事象』として見ていた。
 
 
 
 
単なる『出来事・事象』としてしか、
見えなかった。
 
 
 
 
起こった『出来事・事象』に対して、
対応してきた。
 
→いわゆる、ダミーの問題
いくら対応しても、根源的には解決しない。
 
 
 
 
 
 
『出来事・事象』は、
自分にどういう思い込みや
囚われがあるのかを
知らせるためのもの。
 
 
 
『出来事・事象』を通して、
何か伝えたいメッセージ、
気づいて欲しい事がある。
 
 
 
自分にどういう思い込みや
囚われがあるのか。
 
 
 
どんなメッセージを
伝えようとしているのか。
 
 
 
それを紐解くヒントや手法を伝えることは
他人にもできる。
 
 
 
 
だが、
根本的には、
自分で向き合い解決する必要がある。
 
 ▼
 
ここで、
自分への愛が試される。
 
 
 
起こった『出来事・事象』に対して、
どんな思い込みや囚われがあるのか、
どんな気づきや
伝えたいメッセージがあるのか。
 
 
 
これを紐解く作業は、
自分で地道に
コツコツやっていくしかない。
 
 ▼
 
一度対応したから、
ハイおしまい!ではない。
 
残念なお知らせかもしれないが。
 
 
 
だが、
玉ねぎの皮を一枚一枚剥くように、
一つひとつの感情や
思い込みと向き合う度に、
自己理解も自己愛も深まってゆく。
 
 
自分に還る。
 
 
 
だが、
ここを見たくないあまり、
ここが痛すぎるあまり、
人は人に当たり散らす、発散する。
 
ほぼ無意識。
 
 
私もそうだった。
 
 
 
 
この世はマジで、
自分か、自分以外か。
 
 
 
 
他人は1ミリも関係がないとは、
こういうことか。
 
 
 
まわりにいるあの人も、
ちょっと嫌だなと感じるあの人も、
ちょっと目につくあの人もw
 
 
 
全て、
何かを伝えようとしてくれている、
メッセンジャー。
 
 
 
 
だから、
怖くない。
 
 
 
 
そして、
感情は怖いものではない。
 
 
 
 
過去に傷ついた記憶が疼くから、
痛いように感じるだけ。
 
 
 
 
その痛みに反応しているだけ。
 
 
 
 
痛みから目を背けずに、
幼い自分が感じた痛みに、
大人の自分が寄り添うことで、
痛みは癒える。
 
 
 
 
全ての『出来事・事象』は、
自分に還るためのお知らせでしかない。
怖がる必要はないのだ💓