四国の東のほう《あじ竜王公園、竹居観音寺、レキシル徳島》 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 

香川県の
屋島のとなりの半島の先は
四国の最北端がある!
 
屋島(薄紫)の右の
水色のところが
四国の最北端の庵治(あじ)
 
そのてっぺんに向かってました。
 
そしたらね
この公園の案内を見つけて
とっさにハンドルをきりました!
 
あじ竜王山
と見て、
そりゃアンタ
阿字龍王
でしょうよ!
と、興奮しましたよ!!

駐車場のところの景色↓
こちら↓
公園の案内図
 
ケムトレイルとか言わないでね爆  笑
雲はいろいろと顕現させますキラキラ
まぁ~
みなさんそれぞれに
見たいように見てくださいラブラブ
 
私は、こんなかんじ↓
鳥の足の天女カリョウビンカ
参考記事↓
 
 
小さな半島と
その周囲の8つの小島から成る
庵治町(村)は、石と魚で栄えてきた
とな。
まるで、弁才天だねウインク
真ん中の龍蛇と、8つの龍蛇
水神なので、大漁も弁才天のおかげラブラブ
石?・・・要するに弁才天の他の一面で
石神でもあるのです。
鳥羽の石神さんは、海女さんの守護神キラキラ
上が、ドーマン  下が、セーマン
海神の護符として、日本とペルシャ湾の漁師が
太古の昔から使用しているもの。
(星形のセーマンは、安倍晴明のマークではない)
 
公園内の展望台音譜
 
てっぺんに行って、太陽を撮ったら↓
まわりにモニャモニャいっぱいなんか出てるラブラブ
羽衣っぽくない?ラブ
 
 
鳥さん木の実どうぞ~ラブラブ
本物ではないです爆  笑
(あまりに陽ざしが強いので、ストールをヒジャブ巻き)
 
展望台の先へ進む
 
そこに、こちらがありました↓
公園MAPの説明には、
明治28年にここに設置された
と書いてあったけど、
『南無妙法蓮華経』の方は
作られたのは、天保二年らしい。江戸時代。
こちらの龍王の像は↓
明治廿七年(27年)と書いてある。
MAPの説明では、八大龍王とあったけど
そうではなく
阿字龍王のことなんでしょうキラキラ
 
阿字 とは、梵字の『ア』のこと。
 
手水の石もあるよ↓
実は、トンボがとまってるおねがい
ここに↓
 
その子が帰り、ついてきたラブラブ
 手すりにとまってる↓
ここだよー音譜
ズームではなく、接写キラキラ
 
魂は、羽のいきものに乗りやすい
蝶やトンボは乗りやすいですラブラブ
お墓参りで、そばにいたりしたら
ご先祖さまが一緒にいるってかんじグッド!
 
でも、蠅だと
あなたに良くない想いを抱く者の思念かもあせる
 
蜂はまた別キラキラ
うるさく周りを飛ぶ場合は威嚇だけど、
あなたが虹色のオーラを出していると
太陽と勘違いしてガン見することがある。
その場合、ホバリングして様子を見てるよおねがい
 
竜王山の尾根の先には
すんごいトンガリ山がある。
下山してから撮った山並みの動画↓
公園の場所には寺があり、
山々へ修行に走ってたことでしょう。
 
 
最初に行こうとしていた最北端へ!
 
海の向こうは↓ 岡山県
 
 
そこにあるのが、
竹居観音寺
 
 
美しい~キラキラ
 
本堂への参道に、たくさん並んでます。
 
これは↓妙見大菩薩を意味してますウインク
 
稲荷の鳥居越しに
岩のゴツゴツと太陽キラキラ
 
一番飛び出てる岩に、鳥居
 
 
『竹』は、たぶん、『嶽』
なんだと思う。
このゴツゴツ岩だからねキラキラ
 
そして、本堂は、岩屋でしたラブ
 
 
お経が聞こえて、
よく、録音のものを流してるところもあるから
それかと思ったら・・・
御祈祷中でございました。
なるべく音を立てないように~
ロウソク購入~
裏にも書いた
 
そおっと、そおっと、
おいとまいたしますラブラブ
 
 
戻ってきたら、一人旅な女性を発見キラキラ
「よかったら、写真を撮りっこしませんか?」
ウインク音譜 
 
 
 
次の目的地への途中で
昨日もらった玄米おにぎり
食べましたグッド!
 
 
 
目的地は、レキシル徳島という、
埋蔵文化財センター
 
 
こういうの↑は、あくまでも
考察です。予想です。
だから、誰もが考えていいんだよウインク
うのみにしないでねグッド!
 
こんなふうに、銅鐸(どうたく)が
埋められていたそうな。
こういうかんじ↓
 
 
わざわざこういう木のケースに入れて
埋められていた場所もあるとか。
 
縄文遺跡の
うずまき~~~ラブラブ
 
こちらも素敵なデザインラブラブ
 
こちらは↑祭祀に使っていた男性のシンボル。
地球の神は、夫婦神ラブラブ
男女が助け合い支えあい愛し合うことで
生命の容器を地球上でつないでいく
次に器に入る魂たちのためにねラブラブ
だから
女性器と男性器を祀って神事をしていた。
エロイけど、大切なこと。
ほぼ、女神を祀っていたので、
男性器の奉納のほうが多いねウインク
(御神輿とかでもあるでしょ?)
 
 
こちらは↓レプリカです。
棺は、朱色に塗られていた。
女性の棺です。
朱色は、あとでも出てきますが、
辰砂(しんしゃ。英名シナバー)という石から
水銀を採取したあとに残る朱い顔料を使います。
水銀は、金を採取するときに必要らしい。
縄文時代から、辰砂が採れる地域は
丹という字が入るそうです。
昔から、神社の朱色は
辰砂の朱で塗っていたそうです。
その大元は、神と対話できる神女の棺が
朱く塗られていたからなのでしょうね。
 
土器もかなり珍しいものがあった!
 
 
これは、玩具かな?↓
 
これはなんのカケラか?
 
こう見ると↑、王様の杖の頭の部分
というかんじもする・・・
 
神鏡
実は、
ちっちゃい!
 
本当は↑
こんな状態だったそうだけど、
きっと他の神鏡と照らし合わせて
復元したのでしょうね。
 
 
 
これは↓むちゃくちゃ小さいです!!
こういうのを作る技術があったんです。
文明が無かった
というのは、大嘘ですよ!!
今より、ずっと進んだ技術があったと思う!
 
たくさん骨が見つかってるけど
骨が残るということは
ただの土葬ではない。
縄文時代から、何千年たってる!?
ふつうに土葬したら溶けて無くなってるよ。
 
 
 
 
どこだったか、
一度、土葬して白骨化したころに掘り出して
あらためて葬送する地域もあったね?
もしかしたら
この骨たちも、白骨化してから
溶けない薬を塗って、あらためて埋めたとか?
 
 
こちら!!
辰砂についてです。
 
 
 
朱を取り出すのではなく
水銀を取り出すのが目的。
 
で、そのコーナーで
若杉山遺跡という場所で
辰砂が採れたと紹介していた!!
 
こんなところ↓↓
うわ~~~おねがいラブラブラブラブ
行きたい~~~音譜
 
 
 
展示品が、
石器時代⇒縄文時代⇒弥生時代
奈良・平安時代  になりました。
 
縄文時代は
適材適所で、
みんなが自分にできる仕事をして
互いに支えあっていた。
狩猟が得意なら狩猟を
森、川、海、
それぞれに得意な方法を選び
分かち合っていた。
木の実や葉を集めたり
布を作ったり、裁縫したり、
籠を作ったり、洗濯したり
できることをみんなのために
を、みんながやっていた。
だから
税というものなど無かった。
首長もみんなと一緒に働いていた。
 
神女は、われらにできない
神との交信をしていたし
僧侶たちは、神の光を守り続けていた。
彼らはみんなのために祈り
みんなは、彼らへ供物を捧げた。
 
みんなが、みんなの仕事に敬意を持ち、
感謝の循環でつながっていた。
 
それが、縄文時代。
 
これから、そういう縄文のスピリットへ
戻っていくんだよラブラブ
ただただ、農をするから縄文
なわけではないのだキラキラ
 
 
奈良、平安で、瓦とかが出てくるけど
飛鳥時代だってあったし
歴史はみんな、嘘っぱちだよ~
 
 
こういう↑ おまじないのようなもの
おもしろいよね~
 
青緑色の石の、板碑って
よく見かける
 
銭も埋まってた!
 
 
 
さて!!
若杉山遺跡へ行きたいが・・・
調べたら、どうやら登山だ・・・
登山している余裕はない。
今回は、他にやることがある。
 
地図を見ていたら
その若杉山古墳のそばに
太龍寺というのがあった。
 
せめて、近くまで行けるといいなと思い、
太龍寺へ向かいました・・・
 
 
つづく・・・