羽黒山荒澤寺 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 

 


前の記事
出羽三山パドメツアーから
続いています。



パドメツアー解散後、
山形県在住のPさんSさんLちゃんの3人と、
遠方すぎるので一泊して翌日帰るというGさんと、
私の5人で
荒澤寺(こうたくじ)へ行きました。

 

 

 

 



ここがどれだけ重要なお寺だったか
しっかり話しておかなきゃなので
説明が長いですが
おつきあいください。
m(_ _)m

中世、羽黒修験道が盛んになった。
東叡山寛永寺(★上野の寛永寺★
の管轄となり、

江戸幕府の庇護の下、
西の熊野十二所権現に対する
東国三十三ヶ国総鎮守の三所権現
羽黒山大権現
=聖観音
月山大権現
=阿弥陀如来
湯殿山大権現
=大日如来

として、宗教的にも経済的にも隆盛を極めた。

羽黒修験道は
古くからの修験道と

土着の月山の祖霊信仰が結びついた
独自の修験道。
その中で、荒沢寺の修験道は、
華厳経に説かれている十の世界
地獄
餓鬼
畜生
阿修羅
人間
天人
声聞
縁覚
菩薩

を体験する「十界行」を厳密に行う。
十界行とは、
修行者が一度死んで、新しい生命を得るもの。
山中の修行は
母体内で胎児が成長する期間とされ、
最後に出生して下山するという
"擬死再生"の世界観で構成されている。
山は水源地であり、
あらゆる生命を産みだす巨大な胎内とみている。


羽黒修験では、
出羽三山を順に登拝することを
「三関(さんかん)三渡(さんど)」といって、
羽黒山
現世の仏の

観音の浄土なので、
娑婆
(シャバ)の幸せを祈る。
その修行によって生死の海を渡り、
月山の極楽浄土へ行き、
阿弥陀如来の妙法を聞く。
その力で苦域の関を渡り、
寂光浄土
大日如来の湯殿山に入る。
とされていた。


現在の出羽三山神社の行は
仏式ではなく神道式であり、
行を通じて死後の追体験を行うのは同じだが、
その内容は古来からの修験と比べて
簡略化されたものである。

本来、羽黒修験道は、
僧侶のものだったようです。
しかし、明治維新の神仏分離令
廃仏毀釈により
羽黒修験道のみならず
日本全国の修験道寺は潰された。

羽黒修験道の本山であった
羽黒山寂光寺
廃寺に追い込まれ、
出羽神社(いではじんじゃ)として
強制的に改組された。

(参考記事は、wikipediaとコチラ★
 

 

 


 

 

 

 


簡単な歴史が書いてあります。
最初の方の重要な部分のみ抜粋します。

 


606年。
崇峻天皇の皇子である、蜂子の皇子が
能徐仙(のうじょせん)と称して
月山・湯殿山を開いた。
羽黒山登山に対し、荒澤にて修行し

湯殿山・大日如来の
荒魂不動明王
和魂地蔵菩薩

として祀り

常火堂を建立して、
湯殿行の根本
を定めた。

寺の修験道が排除されるまでは、
湯殿の大日如来が真ん中だった↓

 


これにより
湯殿山御宝前(ゆどのさんごほうぜん)
と称して、
荒澤寺は、羽黒山奥之院として崇められていた。


670年
役小角(えんのおづぬ・役行者えんのぎょうじゃ)
が、開祖の行跡を慕い登嶺(とうれい)。

722年
行基が登嶺。

807年
弘法大師・空海が登嶺。
常火堂にて湯殿行を修し、
湯殿山登拝成就。
常火堂で修行中、
前の川に不動明王を感得し
拾った板に刻んで
「水板不動尊」として祀る。

860年
慈覚大師・円仁が登嶺。
山の中の禅定寺に律蔵を建立。

(廃仏毀釈により撤去)

・・・・・
 

開山時から護持してきた
不滅の常火
明治の神仏分離令・廃仏毀釈の時に
寺を潰され、消滅・・・





幹線道路に面して
このように山門があります。

 


向かい側には
ここから羽黒山へ登る修験の道が続いています。
 

 



まずは、お堂でみんなでご挨拶と
ツアーが大成功だったお礼を・・・
なんたって
ここでPさんと、正善院の副住職は
出会ったのです!
あっちこっちへウロウロするPさんに
麦わら帽子で草むしりしていた副住職が
熱心な人だなぁ~と思って声をかけたのが
ご縁のはじまり。

お堂で祈るみなさんに
私を通して
天からのお礼を・・・

すると
Pさんが大きく揺れてるな~
と思ってたのですが
深々とお辞儀をして号泣しはじめました。

 

頭をあげられないPさん。
この時
みんなを出羽三山へ案内できた喜びと
深い歴史に対して申し訳ない思いとが
あいまっているかんじで
自分でも表現できない気持ちだったそうです。

すると
Lちゃんが
いつものLちゃんじゃなくなって
たのみましたよ
と、Pさんの背中に手をおいて言いました。

あらー!
今の、観音様じゃない!?

って思ったら
そうだった。
Lちゃんも感得してました
立ち姿もしぐさも話し方も
Lちゃんじゃなかった!

「たのみましたよ」
の意味は
このあと、さらに判明しました。


お堂の奥に
かつての常火堂があります。

 

 


今は、不動明王像が安置されています。

常火堂は、
延暦寺にある不滅の法灯と同じです。

 

 

 


僧侶たちが交代で寝ずの番をして
ずっと灯し続けるもの。
荒澤寺の常火は
聖徳太子の時代からあったのだから
それはそれは長い間、
護られてきたものでした。
その法灯から火をもらい
羽黒山や月山、湯殿山へと
法要の時はここから運んでいました。


羽黒山へと続く道の方へ行ってみました。


道路をわたった向こうです。
 

 

 



階段を登り始めると
なぜか走りたくなって
かけあがりました。

そして
奥の方へ走って、
こっちへ走って戻ってくるところを
なぜかみんなで写真撮りっこ(笑)

 

 


ぼてぼてでんな~(笑)

LOVEちゃんはさすが!
鍛えてるだけあってかっこいい!

 

 



そして、Pさんも

 

 




この写真を撮った人が

あれ?・・・・・

Pさんの手が赤いんだけど~




拡大しました。

 

 

 

手が赤くなってる意味を考えました。

LOVEちゃんは
松明に見えると。

私も、火を持ってるように見えます。

常火を
復活させよ


という意味ではないでしょうか?

だから
さっき、観音様が
Pさんに
たのみましたよ
と言ったのでは・・・?

Pさんは、
僧侶ではないけど
神仏への信仰心と
真実探求の情熱は
人一倍ありますから!!



このあと
Pさんの遠縁にあたるのでは?
と思われる方が経営してる旅館へ
皆で泊りに行きました。
その宿のすぐそばに
地図で見ると
湯殿山神社がありました。
きっと分社かね~?
せっかくだから
翌朝、参拝しよう~

と、話していました。


宿は、大井沢というところにある
孝案というお宿。
元々、蓬莱(ほうらい)館という
宿坊があったところで
そのままリフォームしたかんじで
古民家風の素敵なお宿でした。

Pさんと女将さん
やはり遠縁のご親戚でした!
わーいわーい

女将さんがとっても楽しい方で
爆笑の渦でした!!


食事そっちのけで
盛り上がる盛り上がる
なんで、立って喋ってんだ?(笑)

そして
この周辺案内のパンフレットを見ていて
この地が、平将門と縁が深いことが判明。

 

 

 



兼続(かねつぐ)といえば
将門ファンなら誰でも知ってる人。

生き延びたというのは知ってたけど
ここへ来てたんだなぁ~

羽黒山の五重塔は将門の建立。
完成を見ずに亡くなってしまったようですが
将門の遺志をしっかりと残してくれた。
その建設の棟梁が
Pさんだった気がするのです・・・前世ね。
将門を尊敬し、
後世に将門を語り継ぐためにも
丁寧に丁寧に作り上げた。
将門が生きた証を残そうと
精魂こめて作った。

だからPさんは
山形を愛し
出羽を愛し
今回のパドメツアーも
みなさんに喜んでもらおうと
ものすごく尽くしてくださいました。

これからますます
コツコツと
出羽を糺していく糸口を
たどっていかれることでしょう。



というわけで
大爆笑の夜は更け、
翌朝、大井沢の湯殿山神社へ行って
驚愕するのでした・・・

つづく・・・