5/30 黒田観音寺と余呉湖 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 

 


竹生島から戻って
向かったのは
黒田観音寺です。
ここには
大きな准胝観音像があります。
昨日もリンクを貼りましたが、
リンクした准胝観音の記事★
准胝観音について調べた時に
この観音像に出会って
いつか会いに行きたいと思ってました。

 

 

 



よく調べもしないで行くのは
いつものことなんですが
こちらも、行基が建立したお寺でした。
行基が建立
とはいえ
その当時はもっと
質素な掘立小屋だったことでしょう。
 

 

 

 

 

行基作の像かといえば
そこはよくわかりません。
あちこちに行基作の像がありますが
お寺を開けてくださった方も
行基のお弟子さんたたちが作ったのでは?
と言ってました。
たしかに~。
とはいえ、
このような形でと指示を出すのは
行基だったでしょう。
 



やはり、写真では伝わりません。
実際に目のまえで向き合うと
心が満たされ、広がっていきます。

仏像の写真撮影は禁止です。
なので、写真を売ってます。
これがその写真。

 

 

 


手に持っているものに注目。
宝珠もあり~の
十一面観音が持つ水瓶もあり~の
毘沙門天が持つ宝塔もあり~の
蓮の花も持って
巻物も持って
ほらほら
ぜ~~~んぶ一緒だよ
ってことじゃない?(笑)
TPOに合わせて
様々な姿で現れる
ってことだと思う。
時には、恐ろしい姿でもね!

後ろの輪っかには
准胝観音の梵字『ブ』がありますが
仏像に比べると
新しい年代に作られたものっぽいです。
度重なる戦火や
廃仏毀釈から
村人たちが守りぬいてきた仏像。
無くなってしまったものを
真似て作ったのでしょうね。

上の額には、
施無畏(せむい)
と書かれています。
菩薩が
人々の恐れの心を
取り去って救うこと

だそうです。

この准胝観音菩薩のお顔を見てると
本当に、心が落ち着き
恐れを取り去り、
救われるようです。

電話で拝観時間の予約を入れると
村の持ち回りの方が来てくれて
拝ませてくれます。
拝観料500円を払いますが
維持してくださる方々への感謝もこめて
お賽銭箱に
紙のお金をぜひ。
(私も入れて来ました)


よく、
お賽銭って、いくらくらい入れるの?
と聞かれます。
人がたくさん来るようなところは
少なくてもいいと思います。
人があまり来ないようなところへは
多めに入れるのが
私のポリシーです。


次に向かったのは
余呉湖(よごこ)
琵琶湖も好きですが
なぜか、
余呉湖に惹かれるのです。

 

子供の頃、
本の読み聞かせなんてしてもらえる環境でもなく
絵本とかも持ってませんでしたが
子供の頃に耳にしたおとぎ話で
すっごく惹かれたのが
人魚姫の最後の
『泡になって消えました』
(ハッ!としたのを覚えてます)と、
金色の王子の像とツバメの話と、
天女の羽衣の話でした。
こんなおはなし★
その
天女の羽衣のおはなしの地が
日本のあちこちにあるのだけど
余呉湖にもあって
行くことにしました。

余呉湖に伝わる天女伝説は
こちら★

その、羽衣が掛けられていたという木は
う~~~ん
だったけど
こちらには惹かれました。

蛇の目玉石というそうです。


 


↑ここに書かれていることには
ピンとこなかったのだけど
今、ブログを書いていて
詳しい話を見つけたら
涙がこみあげて泣いてます。
なんでだろう・・・

転載しておきます。

余呉湖より二丁余り西、
桐畑口というところに
桐畑太夫という都からの落人が住んでいたました。
弘仁二年の春の終わり、
太夫最愛の一人の女の子が生まれました。
菊石姫と名付けられたこの娘は、
7、8歳になると
次第に蛇体の姿となったので、
太夫も家に置いておくものではないと、
屋敷から一丁余り東北の屋賀原というところに仮家を建て、捨て置きました。
食物も与えられなかったので、
菊石姫のお守係の下女が憐み、
自分の食物を与えて養育していました。
18歳になると菊石姫は、
ここにもいられないと、
ついに湖水に入ったのです。
そのとき、片目を引き抜き、
「龍の目玉は
宝や金では求め難いもの。
大切にしなさい。」

と長く養育してもらったお礼として下女に与えました。
形見の品として大切にしていた目玉だったが、
やはり病を治すのによく効き、
その他にもいろいろ不思議なことがあました。
このことがお上の人の耳に達し、
差し出すように命じられました。
下女は仕方がなく差し出しましたが、
龍の目は両眼とも持参せよ
とのご上意で、
片目しかない訳を話しても追及は続く。
耐えられなくなった下女は、
湖の西、新羅の森から「菊石姫、菊石姫」とよびました。
すると、にわかに湖水が波立ち、
水を左右に分けて乱れた髪がやって来ました。
下女は
「両眼を差し出せねば、火責め水責めにあう。」
と訴えた。

菊石姫は
「養育の恩は深い。
自分は両目を失っても命の別状ない。
しかし、盲目となったら
時刻を知ることはできないから、
湖水の四方にお堂を建て、
時を知らせる鐘をついてくれと、
太夫に伝えてください。」

といって目玉を抜き、石に投げつけました。
目玉のあとが石に鮮やかについた。
この石を名付けて「目玉石」といいます。
目玉石のそばに、
長さ3尺横1尺ばかりの石があり、
これを枕に菊石姫はしばし休みました。
「これからは私を呼んではなりません。
もし会いたくなったら、
この石を見なさい。」

そういって湖中に消えていきました。
この石を「蛇の枕石」と呼んでいます。
両眼を地頭に差し出した下女は助かったが、
菊石姫の母はこのことを聞いてから病の床につき、ほどなくしてなくなりました。
それからは太夫も病弱になって、
菊石姫のことを案じ、
湖畔の7つの森にお堂を建てて、時の鐘をつかせました。
菊石姫が盲目となってより、
水青く晴天の日でも底が見えなくなったといいます。

元記事★


なぜ、
ここに惹かれたのか
理由がわかるかな?
と、湖の水に手を入れ
ちゃぷちゃぷしてました。

 

 


あぁわたし、ここに入ったんだ・・・
と感じて
泣きました。
菊石姫ではないと思うけど
また生贄かな?(笑)
何回、生贄志願してんねん(笑)
どんだけ好きやねん(笑)
って、自分でツッコミました(笑)

 

 


迎えてくれて
ありがとう

車へ戻ろうとしたら
蛇さんがいました。




まだまだ続きますが
明日、
登山なので、
続きはまた今度かな?
m(_ _)m