3/6 五社稲荷.兎足神社 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 

 


深夜の満月の儀式★から
続いてます。

安全運転にて東名高速道路走行。
(軽自動車なのでエンジンいたわりながら)
眠くなったらPAにて寝る。
アクセル踏み続けてる右足も
けっこう疲れるんですよ。
元々、古傷があるので
痛くなったら休憩。
軽自動車のエンジンも時々休憩させねば。

そんなこんなで
豊川あたり・・・

一般道を走っていたら
でっかい鳥居が出現!
鳥居には
白狐ヶ丘
わ~お行くでしょ~


ここは、古墳なのでした!!




余談
古墳時代ってのがありますが
あちこちでやたらと古墳が作られた時代ですね。
なんでだと思う?
でっかい墓作りがブームになったから?

wikiの説明
西暦266年から413年にかけて
中国の歴史文献における

倭国
(わこく=日本)

記述がなく
詳細を把握できないため、
この間は
「空白の4世紀」とも呼ばれている。
日本国家の成立を考察すれば、
ヤマト王権が拡大し、
王権が強化統一されていった時代

と考えられている。
古墳時代終末期(
7世紀頃)に
倭国から日本国
国名を変更した。

ということは
縄文時代(1万年以上前)からずっと
蓬莱島=神の島
である倭の国(日本)で
平和に暮らしてきた倭人(日本人)たちを
まつろわぬ者=蝦夷(えみし)
と位置付け
天孫族(天皇)=ヤマト王権が、
まるで
白人のアメリカ大陸侵略の
インディアン狩りのように
人を人とも思わぬ残虐さで
蹂躙していった。
のでは?
空白の4世紀とは
その闇の時代
ということではなかろうか?


蝦夷のヒーロー アテルイ伝★
大沢たかお ↓



次々に
日本各地に点在していた
地方自治体の国主=族長が殺され
後継者(子孫)もみんな抹殺されて
悲しむ民人たちが
みんなで立派なお墓を作ったのではないか?

そして総仕上げに
7世紀後半
天武天皇により
神話が書き変えられ
天皇を神とした。
天孫降臨。
そして
すべては天皇(神)の所有物。
土地を貸してやるから
天皇にお礼として
年貢を納めろ
という、律令制度が
貧しい民人たちを苦しめた。
民人たちを護ろうと立ち向かったのが
平将門。

余談終わり

 

 

 


神社を参拝して
出たところに
兎足(うたり)神社の看板があったので
行ってみました。
 

 

 

 

 

 



祭神の名前
兎上(うなかみ)足尼(すくね)命(のみこと)
だそうです。
略して、兎足(うたり)なのね。
足の尼と書くのが気になる。
当て字にしては、無理矢理すぎる気が・・・
兎は、女神の眷族。

 

かなり古くからあるみたいで
神主さんが自慢してました(笑)

天武天皇の頃、(てんむ~)
氏の石勝さんが
神託により、今の場所へ移したとのこと。

秦石勝は、「日本書紀」朱鳥元年(686)8月のところに出てきます。
「丁丑(9日)に、天武天皇の体不予(やまい)したまうが為に、神祇に祈る。  
辛巳(13日)に秦忌寸石勝を遣して、幣を土佐大神に奉る。」  
この1ヶ月後の9月9日に、
天武天皇は崩御されているので、
秦石勝は、祭祀に関連して、大役を仰せつかっていたことになります。  
従って、同年春の「菟足神社の遷座」(白鳳15年(686)4月15日)のことも、
天武天皇の世の
地震などに関する
国内鎮静化
に関連した行事だったのかも知れません。  
同月には、多紀皇女、山背姫王、石川夫人を
伊勢神宮へ遣しています。
元記事★

真の神は、怒っていたのだよ。
伊勢神宮周辺の伝承に
本物の太陽神を追い出して
ニセモノの太陽神がきた

というのがあるらしい。
真の神を抹消し
(天武天皇はそれまでの文献などをすべて破棄してしまった)
神を天皇にして
民を苦しめるとは・・・

伊勢神宮の周辺では
皆さん、玄関に
蘇民将来の飾りを付けてます。
スサノオです。
アマテラスの存在、薄いんです(笑)



そして、
この近くに
今川義元のお墓があったので
行ってみることに・・・

今川 義元(よしもと)は、
戦国時代の武将。
駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。
今川氏第11代当主。
婚姻関係により武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。

徳川家康は、幼少の頃
今川氏に人質として預けられており
今川氏の元で元服(成人を迎える)し
義元から偏諱(へんき=主従関係の証だが、武士の世界ではありがたいこと)を賜り
義元の姪・築山御前を娶っている。


つづく・・・