小豆島 8/25 後編(星ヶ城山) | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 


小豆島 8/25 前編 からの続きです)

さて、いよいよ星ヶ城山です。

小豆島では、寒霞渓(かんかけい)の方が有名なので
みなさんそちらへ行かれるようです。
本当は行きたいですが
時間がないので頂上へ裏道から直行。

ちなみに、
寒霞渓の字も、変えられてしまったものらしく、
本当は、神懸渓らしいです。

( ̄∀ ̄) ↑↑ 
神仏分離令で変えられる前の名残は
土地、道の名前などに残ってますので
ぜひ、皆さんも、おうちの周りを探してみてくださいね♪


飛び出すな 車は急に 止まれない

知らんがな。
ここはわてらのテリトリーやで。

お邪魔しまーす。
通りゃんせ~通りゃんせ~



星が城の周辺を園地というらしい。

三笠山山頂に、阿豆枳島(あずきしま)神社がある。
けれど、目指すはそこではなく
あくまでも山頂。


本日も霧深いですが突入します。

西峰・東峰の分岐点に
地図がありました。

両方の峰に、阿豆枳島神社があります!!

ちなみに
小豆島は、しょうどしまではなく
阿豆枳島あずきしま
と呼ばれていたそうです。

さらにちなみに
シュメール語で訳してみる。
 大神ア
 あなたの
 土地
ほほほ~
だんだん、見えてきますね。

なだらかな道で助かりました。


頂上を表す三角点

反対側から写真を撮ると
なんですか?これは!
ラピュタにでも出てきそうな・・・

 

 


と、説明がありましたが
翌日に行った
大麻山龍水寺 通称 西の瀧 の住職さんが
朝鮮半島に、まったく同じものがあって
それは天文台として
星を観測するものらしい。

と教えてくれました。
だからこそ、星ヶ城という名前なんでしょう。

 

 

このすぐそばに、
古代祭祀場とみられる遺跡

 

 



星見の塔を建てた人たちは
朝鮮半島から渡来してきた方々かもしれない。
朝鮮半島の植物に囲まれた皇子神社の皇子とは
いったい誰なのか?
朝鮮半島でも王権争い、国土争いが絶えず
逃げてきた王子なのだろうか?
そのお付きの者たちがこの星見の塔を建てたのか?
あずき島と名前をつけたのは誰なのか?

祭祀の跡に立って、観想してみると
渡来人たちより以前に、
縄文日本人はこの島に住んでいた。
この祭祀場は、縄文の頃からのもの。
逃げてきた王子一行を快く島に迎え共に暮らした。
ということじゃないかな?
(ここに城を築いた佐々木信胤はずっと後のこと)

縄文日本人は、やさしく寛大で
来る者拒まず、去る者追わず。
与えるが奪わない。決して争わない。
互いに助け合う精神が旺盛だった。
宇宙の良心とあるがままだった。
神と共に暮らしていた。

この島に、役行者も行基も弘法大師・空海も来てる。
彼らは日本中に足跡があるけど
彼らが辿った道は
日本各地の土地神を祀る縄文の祭祀場だと思う。

さらに、お遍路八十八ヶ所というものを作る時、
四国にするか、小豆島にするか
決めかねたらしいです。
それって、すごいよね!!!


では、東の峰へ行きます。
東の阿豆枳島神社

この場所を宇宙へ知らせたのですが
眼を閉じているのに、目の前が瑠璃色に・・・


祭神は、めくらまし

頂上は、大神
東峰は、男神
西峰は、女神
要するに、三神山さんしんざん
(意味がわからない人は、絶対なる三神も参照してね )

こちらは西の阿豆枳島神社

 

 

 

 


眼を閉じていて、目の前が
眩しいほどのマジェンダ色に・・・


西峰へ向かう道には巨石がたくさんあり
こんなふうに積み重なって突起してるとこも。

この先へ立つと
なんとも素晴らしい景色。

 


東峰、西峰、両方に
城だった遺跡もたくさんありました。
攻め入られた時のための壕
あそこに隠れて、敵を待ち伏せ攻撃です。
他にもいろいろありましたが
割愛させていただきます。
m(_ _)m

そんなこんなで、帰り道がわからなくなって
やべえ!と思いましたが
そんな時は、来た道を戻るのが一番。
基本ですね。

 



このあと、石門洞というお寺へ行きました。
つづく・・・