広島城は、はくしま城 中編 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 


前の記事からの続きです。


友人から、こんなメールが来ました。(7/1夜)

この間の29日の日曜日の午前中、
眠たくてうとうとっとしてきて目をつむったら、 
赤いピンク色のマゼンダ色の龍が、
淡いピンク色の水晶の玉を持って、
水晶と同じ淡いピンク色の
すごく優しい光を全身から発しながら、
空に向かって登っていくのが見えて、 
あ~ユキさんがなんかしてはるんかな~
って思いました。 
何時頃だったか
時計見てないからわからないけど
日曜日の午前中です(^o^)
 


はい
なんかしてはりましたよ(笑)


2014年6月29日(日)

チベット寺院を出て、
えっちゃんが
「ここは行ったほうがええんちゃうか?」
とオススメの
碇(いかり)神社へ行くことに。

車は2台。
互いにナビ設定して、
2台ともついたのは、広島東照宮。
あれ~?
ま、せっかくだからお参りしよう
と、参拝して
気になる方へと歩き出す・・・
すると・・・

裏手に、
金光稲荷神社の案内が・・・

奥宮まで8分・・・

登るでしょ( ̄∀ ̄)

 

 

 



整備された階段が続きます。
整備されてるだけ
ありがたい(笑)

道すがらに、徳川家康のご遺訓が
少しずつ書いてありました。


このご遺訓がひじょ~~~に素晴らしいので
書いておきますね。

人の一生は
重き荷を負うて 
遠き道を行くが如し 
急ぐべからず


人の一生は、重い荷物を担いで
遠い道を歩くようなものだ。急がなくてもよい


不自由を常と思えば不足なし

自由にならないのが当たり前と思えば
不自由なことなどなにも無い


心に望みおこらば
困窮したる時を思い出すべし


心に欲望がでてきたら
困っていた時のことを思いだしなさい。


堪忍は無事長久の基
怒りを敵と思え


ガマンは、協調と健康の基本である。
怒りこそが自分の敵と思いなさい。


勝つことばかり知りて 
負くるを知らざれば 
害その身に至る


人に勝つことばかり考えて
負けることを受け入れないなら
自分で身を滅ぼす


己を責めて人を責むるな

なにごとも自分が至らないと思って
人を責めないように


及ばざるは過ぎたるに勝れり

謙虚であることが、過剰よりも尊いのだ。

さすが、400年続く江戸幕府を築いたお方です。
天下を取っても
この謙虚さ・・・
実るほど 首を垂れる 稲穂かな


御神井への道が分かれる少し先の巨石


もう少し先へ行くと・・・

ここです

この岩の脇を入って
岩の上に出ました。



ここで
心を鎮め
白姫と心を一つにします。
 

 

 

 

 


悲しくて
悲しくて
涙があふれ
号泣しました。

岩を封じ
名を消し
そのうえまだ
山に穴を空ける。
我らの親である龍(日本列島)を
穴だらけにし、穢しまくっている。
だから
日本人が弱っているのだ。
それぞれの魂の祠を
穢されてるから。
アレルギーが多いのも
身体のあちこちが痛いのも
みんなみんな
自分たちが
便利をむさぼることから
生じていることだったんだ・・・

宇宙のかなたへ
光を送り
この場所を知らせました。
救いが来てくれることを祈ります。


祈りが終わって、泣きやんだら
みんなも登ってきました。

はいそこに立って~
ふりむいてポーズ!

素敵~~~
惚れるぅ~~~

下には、奥宮の社があります。
「でも、なんにも書いてない。」
と、えっちゃん。


「何が祀られてるん?」

この山に、太陽の石と月の石があるって
さっき言ってたよね?
その配置は、どうなってる?
二つの石の真ん中に
ここがあるんじゃないの?


「そうやな。真ん中にあるな」

日光菩薩と月光菩薩の
真ん中にいるのは
だぁれ?


「大日如来かっ!!!」

「なんで今まで気づかなかったんや~~~!!!」
と、叫んでました(笑)

さっきの岩には亀裂があって
そこから木が生えてます。

 

 




下山して、さっき登ってきた方とは
違う方へ降りてみたら
そこにこんな地図がありました。



この山
勾玉じゃん


ほんまじゃ!!

龍だね!!

うん。勾玉は龍なんだよ。

この山に、トンネルを掘る計画があるそうです。
神山潰しです。
こうしてどんどん
日本が弱っていきます。
我らの親の龍神が、弱っていきます。

不自由を常と思えば不足なし

自分がしたことは
自分に返ってくる。

人間がしたことは
人間に返ってくる。



さて、今度はちゃんと
碇神社へ行きましょう。

 

 

 

 


16世紀に、広島城が建てられる前から・・・
というのは、
現存する記述が、その時点のものしかない
ということであり
もっともっと古くからあるものと思われる。

境内には、
被爆サクラなるものがありました。

原爆で被爆して折れてしまったところから
また育ってきたと・・・

隣にはお寺があって
そちらにも
被爆ツバキ


このお寺の菩提樹は
種をつけたまま
枯れていました・・・

数人で、種をもらってきました。
植えてみようっと

 


まだまだ続きます・・・