40余坪宅地に小さな藁葺き住宅と
水田20アールを本家から貰って、
今の家に来たが、大黒柱の祖父が、
病いのために10数年後には、
生活の基盤である水田を手放さなければ
ならなくなり、
祖父の元に嫁いだ従姉妹が可哀想だからだ
ということだった。


祖母が亡くなると、
父の叔父叔母から従姉妹にあたる方々まで、
一堂に会して、
家族の行方を話し合われたとのことです。

未成人の兄弟達を数人の方々が、
各々引取り、面倒をみることになったと聞いています。