先日、明け方まで起きていて
空が明るくなるのを感じ
カーテンの隙間から
雨上がりの曇り空を眺めていた
電線に止まっている
小さな鳥が目に止まり
小学校での息苦しさに
音楽の授業で習った
「翼をください」
を歌いながら泣けた日を
思い出しつつも、
鳥だって楽ではないよねぇ、と、
雨風の心配のない場所で、
毛布に包まりながら考えていた。
4年前、
旅先の京都御苑で休憩中に、
どこからともなく
黄色いインコが現れて
私の肩にとまった
とても人懐こくて
その場にいた友人たちとも戯れ
そしてまた飛んでいった
どこから来て
どこへいったのか…
あの時あの場所には、
とても平和で穏やかな空気が流れて
小鳥も今ここという瞬間を
軽やかに楽しんでいるように見え
安心の暮らしと引き換えに
自由を謳歌しているのかも
そんな風に思えた
自由な空にも悲しみはある
わたしには、
この小鳥の自由な姿に
もしかすると
訪れる悲しい結末を想い
切なさも感じた
だけど、
どうあることが
あの鳥にとって幸せなのか
それは、
あの鳥にしかわからないことじゃないか
飼い鳥として生まれ育ち、
安心安全の中で命を全うしていく
ひとつのしあわせのかたち
その世界を離れた先に
起こる出来事に
幸か不幸か意味づけをするのも
なかなか残酷な気もする
小鳥が何かを考えるのか
わからないけれど
ただ、
彼らは生まれ今を生きる
というシンプルさの中にいるのかな
私たちも、
与えられた環境の中で生まれ育ち
それを変えることはできないけど、
何かを感じたり、
自分の心の声に気づいたときから、
生き方を選択することができる
生きていると、
楽しいことや嬉しいことばかりではなく、
悲しいことや辛いこともたくさんある
私は今、
悲しみのない自由な空へは
行きたくない
私は悲しみも喜びもあるこの世界を
自分のいのちのあるかぎり、
生きていきたい
時には、
苦しみや悲しみもある道を
自分の意思で
選ぶことができること
それが私にとっての
自由ということだと思う
自由と幸福について
思い巡らせるとき
この黄色い鳥との出会いを
思い出します