広い体育館に沢山並べられた椅子、
見守る在校生や先生、保護者たち、
吹奏楽部の演奏で出迎えられて
入場行進をする卒業生たち。


凛々しくたくましく成長した我が子の姿を、
ハンカチやビデオカメラ片手に見守る。


そんなごく当たり前と思っていた景色とは、
また別の景色がある。


みんなの輪の中にいなくても、
その日を迎え、卒業してゆく子がいることを実感した息子の卒業。



校長室の真ん中には、
ポツンと1つ置かれたパイプ椅子。


けれども、そこには、
あたたかな眼差しと思いやりがある
やさしい時間が流れていた。



それは確かに卒業式だった。




今日は、
いつか薄れゆく記憶の備忘録として、
また、あたりまえの景色の隣にある景色を届けることで、誰かが何かを感じる種として、息子との卒業式の思い出を書き綴りたいと思います🎓




中学生生活最後の日は、
午前中に卒業式をする同級生とは別に、
校長室で、ということを選んだ息子。



数日前に、久しぶりに履いてみた制服は、ズボンの丈がとても短くなっていた。



つんつるてんのまんまでもいっか?
と思いつつも、


三年間、一度も直していなかったので、
伸ばせるだけ丈を伸ばしてもらった。



制服の時は止まっているけれど、
息子の時が止まっていたわけではない。



ぶかぶかの制服を着て入学式をした日が
ついこの間のようで懐かしい。




学校へ向かう車中、
 


「校長室での卒業式なんて、初めてや!
たのしみ、たのしみ。」


と言う私に、


「たのしみか?…まぁ、そやな、こんなこと、人生でなかなか経験できんな。俺に感謝やな。」



と言う息子。



それでも、学校が近くにつれ、
息子の緊張が高まっていくのを感じた。



職員玄関近くに車を停めようとするも、
近過ぎる!と、息子に止められ、
すぐそばの体育館前の駐車場で、
時間を待った。




中学2年の5月以来、 
一度も足を踏み入れていない学校。



だんだん身体がこわばってきて
「腹痛くなってきた」と、うつむく。



最後の日、自分で選んだ卒業式。



安心して、その時を迎えてほしい。
気楽にその後も会話を続けた。



「学校で楽しかった思い出ある?」


「嫌過ぎて、学校の記憶消しとる。」  


「じゃあ、〇〇君と、〇〇君に出会ったことは?」 


「それはよかったな。」


「じゃあ、1年生のとき、学校行っとってよかったなぁ。それに、学校に行ってなくても、ずっと友達で仲良くしとる子もおるしなー。」


「おるおる。」


「お母さん知っとるだけでも、5人くらいおるやん、それに、〇〇君とか、〇〇君とかとも学校関係なく友達やもんなー。」


「それやったら、もっとおる!」


と、リアルで会ったゲーム友達を数え始める。


「めっちゃおるやん。学校でできた友達もおって、好きなことの仲間もおって最高やな!十分やなー。」



「そやなー。」



そんな会話をしながら、
ずいぶん表情がほぐれていた。




「もう時間!」



ほんの数十メートルの道が長い。
再び高まる息子の緊張を察したかのように、
職員玄関に着く直前、



バタン!!


と、突然「卒業式」と書かれた看板が倒れた。



「なんやそれ!」


と、思わず2人で顔を見合わせて吹き出した。
看板を立て直している間に、自然と肩の力が抜けていた。



おかげで、思ったよりすんなり、
息子自身でインターホンを押すことができた。




玄関の扉を開けると、
スリッパとくつが並べられていた。



息子が2年生のときにから学校に置いたままになっていた内履きだった。



私たちのために並べられた心遣いと、
階段を駆け下りてきてくださった先生の笑顔に、思わずまぶたが熱くなった。




「卒業生、入場!」



校長室の中からの女性の先生の呼びかけで、
おそるおそる中へ入ると、


担任の先生と校長先生以外にも、
先生方がずらりと並んで迎えてくださった。



きっと、3年生の担任や副担任の先生方なんだろう。華やかな着物姿など、先生方の姿に、卒業式なんだなという実感が込み上げる。




たった一人の卒業式がはじまった。




名前を呼ばれて、


「はい!」


と、返事をして立ち上がる。



卒業証書を、



「ありがとうございます。」



と、受け取る。



たったそれだけのことだけど、
この時ばかりは凛々しく見える。



私も校長室の中の椅子に座り、
とても近い場所で見させていただけた。


校長先生の表情も、司会進行の先生の眼差しも、息子を囲むひとりひとりの先生の顔が見えた。


思いがけず先生方に囲まれて、
肩に力が入っている息子をよそに、


校長室の空間いっぱいに、広い体育館と同じ卒業式の空気が満たされているのを感じて、胸に込み上げるてくるものがあった。


なんて特等席!
なんて贅沢な時間なんだろう。


午前の卒業式の後でお疲れの中、
きっと他にも個別対応のお子さんがいて、
繰り返し卒業式を務めてくださっていることを思うと、感謝するばかりだ。


校長先生は、息子が返事をしたり、卒業証書を貰いお礼の言葉を言えたことを言葉にして認めてくださりながら、卒業生へ贈るメッセージをくださった。


ささいなことを拾い上げてくださった、
それが息子にとっての小さな自信に繋がるだろう。



校長先生とは初対面、先生方もほとんど関わりがなかったけれど、短いながらも、卒業式を迎えるたった一人の生徒のために、その時間を良いものにしようとしてくださっている思いが伝わってきた。




校長室を退室した途端、
やっと息ができたかのように、



「緊張した〜〜。」




と、その場で息子がしゃがみ込んだ。



卒業式という場に合わせて振る舞う姿を見せた息子。彼はそういう子だった。


中学の思い出はほとんどないけれど保育園、小学校と、一生懸命な姿も集団で力を合わせる姿も十分見てきた。


それより何より、
自分自身の感覚に正直な子だ。


先生方のあたたかな眼差しに愛情を感じつつ、
だとしても、集団の中では違和感を感じたり、だんだんと学校は彼にとって息がしにくくなる場所になっていったんだろう。



それから、担任の先生と初めて校舎の四階へ。
教室の廊下には3年間の思い出の写真が張り出され、その中には、入学式の写真など、
息子がうつる写真もあった。


楽しそうな行事を見ると、
少しの切なさはあるけれど、


それでも、この3年間は、
彼にとって必要な道を選びとってきた、
彼だけの学びと成長があった月日なんだと思う。



中学生という守られた立場で、
ゆっくりと歩めたこと、
見守ってくださった先生方には、
改めて感謝の思いです。



最後に、卒業式の看板の前で、
先生と記念撮影をする息子の顔は、
明るく晴れやかだった。



あたりまえの隣にある景色は、
意外と絶景だったかも。


3年前には、
想像していなかった今を歩んでいる。


振り返って言えることは、息子が学校に行っていても、行っていなくてもどちらでも良かった、ということ。


その時々のベストな道を選んできた。


人生に必要な学びや課題は、
きっと必要な時に繰り返し訪れる。


その都度、迷い悩みながらも、
進んでいけばいい。


ただ息子の生きる道と力を信頼して、
見守るだけだ。


きっとこれからも手を貸しつつだけれど、
彼のペースで生きていってくれればいい。


校長室での卒業式は、緊張しながらも、やさしさに包まれた心に残る式だったと思う。



きっと卒業式の日を、
学校で過ごさなかった子もいるだろう。
そこからの景色はどんな1日だっただろう。



卒業式に出た子も出なかった子も、
15年間無事に生きてきてくれてありがとう、
おめでとうという言葉を贈りたい。



それぞれに色んな気持ちで過ごした、
3年間があったと思う。



生きられる場所で生きていこう。
そこからはじまる道がきっとあるから。




息子くん。
卒業、おめでとう。
これからもよろしくね。