新学期が始まりましたね。
一昨日、見かけたガチャピンの動画が
素敵だったので、文字起こししてみました。
学校に行くのが、
ほんとうにほんとうに嫌な君、
こっちへおいで、おいで。
ちょっとお話しよう。
夏休みが終わる、
学校が始まる前の日は。
学校に行くのがほんとうに嫌で嫌で、
命を絶ってしまうお友達がいるって
聞きました。
もし、今これをみてくれている中に、
そういうお友達がいたらって思って、
今日はお話をしようと思います。
あのね、ほんとうに嫌なら、
学校なんか行かなくていい、
と僕は思う。
辛くて辛くて、
ほんとうにどうしようもなくて、
学校に行くくらいなら…って、
思うのなら。
逃げちゃお。
逃げるっていうのは、
君に選ぶ権利のある選択肢の
ひとつだよ。
どっか行く?
一緒に遊びに行こうよ!
涼しい図書館とか、公園とか。
お気に入りの場所はある?
お菓子買ってさ、
のんびり過ごそう。
逃げちゃお。
逃げることは、
決してかっこ悪いことじゃないよ。
勇気ある決断なんだよ。
え?
お父さんお母さんが、
学校に行けって?
いやいや、それはおかしい。
うん。
だってさ、動物や恐竜はね、
身の危険を感じて逃げるときには、
誰の許可ももらわないの。
それなのに人間だけ、
危険が迫っても、
特に、心の危険が迫った場合、
逃げることは許されないと思ってしまう。
そんなことはないんだ。
自分にしかわからない、
心の危険信号をキャッチしたのなら、
しんどいのなら、
逃げていいんだよ。
そして、
ゆっくり休むんだ。
でもね、
お父さんやお母さんが、
心配しちゃう気持ちもわかる。
学校に、
ずーっと行かないお子さんを
見守るのは怖いよね。
でも、信じてほしいんだ。
その子を。
そして、お父さん、お母さん。
あなたたち自身のことも。
世界はとっても広いんだ。
学校が、学校だけが、
世界のすべてではないんだよ。
ほんとうは、僕たちは、
限りなく自由な存在なんだ。
そのことを思い出してほしい。
だから君、お休みしながら
ゆっくり自分の心地良いことを
見つけていこう。
そして、
その心地良いと思うことを、
少しずつでいいから、
自分にやっていってあげよう。
そうすれば、自分がほんとうは
何を感じているのか、どうしたいのか、
何が嫌で何が好きなのかがわかってくる。
その頃にはきっと、
思いもしなかった自分に
出会えると思うよ。
だから自分自身を、
待ってあげてほしい。
だから、自分自身を、
待ってあげてほしい。
大丈夫だから。
何をやってもやらなくても、
何ができてもできなくても、
君の価値は変わらない。
君は生きているだけで、
すばらしい存在なんだ。
ぼくは、みんなの、
君のそばにいます。
こんな言葉は、
大した役には立たないかもしれない。
でも、でも。
ぼくは、
あなたに生きていてほしいんだ。
だから、生きて。
..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*
動画を見た子どもたちから、
色々な反響が寄せられています。
それ以上に大人たちからの、
「会社に行きたくない君へ。」
も、お願いします!という声が、
たくさん届いていました。
わたしの子ども時代には、
テレビでガチャピンを見る機会は多く、
身近な人気者でした。
今の子どもたちは、
ガチャピンをよく知らない子もいます。
かつて子どもだった大人たちに、
このメッセージが響いているのかなと思います。
ガチャピンは、
とても本質的なことを伝えてくれています。
わたしたちは、ほんとうは、
限りなく自由な存在なんだということ。
自分にしかわからない、
自分の心の危険信号に従うことに、
ほんとうは誰の許可もいらない、
ということ。
そして、
何をやってもやらなくても、
何ができてもできなくても、
君の価値は変わらない。
君は生きているだけで、
すばらしい存在なんだ。
ということ。
子どもが学校を休みたい、
と言い始めたら親は不安で心配で、
そして、とても怖い。
その子の将来も、世間の目も。
自分を責めたくもなる。
大人も不安で不安で仕方がないんだ。
だって、
学校を卒業してきた自分たちでさえも、
毎日が辛かったり将来に希望を見出すのは
困難なことがあるから。
ガチャピンは、
お父さん、お母さん、
あなたたち自身のことも信じてあげて、
と力強く伝えてくれています。
世界は広い。
今、見えていることが、
世界のすべてではないし、
子どもたちの未来のすべてでもない。
思いもしなかった自分に、
これから出会うかもしれない。
学校に行っても行かなくても。
絶対的な安心ルートがあるわけではなくて、
絶対にやり直せない失敗はそう多くはない。
時には休んだり、寄り道したり、
お菓子でも食べながら、
その時々の最適な方向へ、
進んでいけばいいんじゃないかな。
不自由さを感じる世の中だけど。
思い出していこう、
私たちは、限りなく自由な存在なんだと。